G線上の魔王(あかべぇそふとつぅ)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント5−5−9−
シナリオ:るーすぼーい
原画:有葉
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『ANSWER』/エンディング:『雪の羽 時の風』/挿入歌:『Close Your Eyes』)

<シナリオ>
 表向きは普通の学園生でありながら、裏では法外な大金を動かすビジネスに手を染める主人公・浅井京介。彼の元に送られてきた一通の謎のメールと、「勇者」を名乗る少女、宇佐美ハルの突然の出現に、彼の人生は大きく狂わされることとなる。彼らは「魔王」と名乗る存在を追い、裏の世界を駆け巡るのだった……。
 物語の展開としてはこんな感じでしょうか。作品そのものの展開は、全編この「魔王」を主人公たちが追い、「魔王」の仕掛けた事件や罠などを解決しながら、「魔王」とは誰なのか、「魔王」の思惑は何なのかを一つの肝として進んでいくというものになります。
 この作品、同じスタッフの『車輪の国』シリーズでもそうでしたが、とにかく「こちらの考えていることの裏をつき、そこから考えることの裏をつき続ける」ことで、ひとつの物語を複雑かつ面白いものにしています。
 通常、我々が本でもゲームでも何でもいいんですが、物語を読むときには無意識のうちに「先を読む」行為をしています。ミニマムなところで云えば、恋愛モノを読んでいるときには、「このデートのときに主人公は告白するんだろう」とか、「なにか不良が出てきて主人公たちに絡むんじゃないか」とか、とにかくそういう何らかの「予想」をしているものです。
 これは、物語が一見してわかりやすければわかりやすいほど顕著になります。
 例えば、舞台設定が細かいところまで深く掘り下げられたSF小説と、殺人事件がおきたからそれを解決するという物語の推理小説とを比べてみれば、先を予想する作業をどちらが無意識にやりやすいかは云わずもがな、というものでしょう。
 尤も、それは推理小説というジャンルが、「犯人がいてその犯人を捜す」という物語展開が明らかであることもありますが、その「犯人を捜させる」という方向に向かって物語が意図的に誘導している、というのもあるでしょう。
 この『G線上の魔王』でもその手法が使われています。つまり、わざと無意識に「先を読ませる」のです。
 これは、『車輪の国』シリーズでも似たようなところがありましたが、こちらのほうがより顕著です。「魔王」という謎の存在に対してのヒントを散りばめ、ミスリードを意図的に誘うことで混乱させてさらにそれを引っ張るという話の流れで全般にわたって構成されているのです。
 ここのところはもう本当に「巧み」の一言。とかく、常に先を読ませてはその読みを裏切られる展開の連続なので、物語序盤から終盤に至るまでまったく飽きることがありません。
 ボリューム自体はかなりあります。総プレイ時間で20時間以上はありますでしょうか。それぞれ章立てになっていて、選択肢によってその章のメインキャラクターを中心にしたエンディングを迎えることができる仕組みになっています。
 通常、これだけボリュームがあればどこかでダレてくるものですが、この作品ではそういった惰性に拠るところがまったくありません。
 それはおそらく、単純に文章のテンポのよさもあるのだと思います。短い会話の応酬の中に長いモノローグ調のセリフや謎解きに関する深いタームをアクセントとして挟むことで、文章そのものが奇跡的なまでに読みやすいテンポを作り出しています。
 今回もキャラクタ同士でのギャグの応酬シーンなんかもありますが、そこでは『車輪の国』でわずかに感じたような揺れや違和感もさほどありません(ただし、これは舞台のメインが学園を中心にした現実世界に移っているから、というのも大きいのではないかと思います)。
 ですが、そういうところの上にある大局的な物語構成によるものが非常に大きな役割を果たしているのは先にも述べた通りです。
 あえて云うなら、本筋と外れたところにあるキャラクターごとのシナリオ展開でちょっとダレるかもしれませんが、それは「本編が気になる」からですし、それにしたって本編と関係した展開が進むわけですから、「退屈で放り出した」というようなことはありませんでした。
 とかく、全編にわたって意図的に先を「読ませて」おいた上でそれをひっくり返し、たぶんそれをひっくり返すんだろうなあと思っていたその想像のさらに裏側を行き、物語ひとつひとつの細かいところが真実のヒントになっているというその展開は、読んでいるときには間違いなく他を忘れて先を見たくなるものでした。これは間違いありません。「ほんとに熱中できる」物語なんてほんとに一握りで、この作品の物語はその中に間違いなくあるのではないかと思います。
 ただ、その反面、最後がややあっさり終わり気味なのではないかという気はしました。もちろんやっぱりここも「ひっくり返す」終わり方ではあるのですが、そのひっくり返し方がちょっと中途半端で、なんとなく急ぎ足になってしまっているような印象を受けてしまうのです。
 この作品の場合、一つ一つのエピソードレベルでの問題解決の上に、「魔王」という存在とはいったいなんだろう、というのがあります。
 これが最大のトリックなわけですが、これを「どう解決するか」というところに物語のすべてが収斂していくと云っても過言ではないでしょう。
 とすれば、その「魔王」は誰だ、という「誰」の部分に該当する人物が現れてしまえば、謎のほとんどが収まってしまうわけです。
 おそらく、ここがそのあっさり感の原因なのではないでしょうか。
 つまり、「魔王」という存在が明らかになった時点で、この作品の主軸の半分以上が明らかになってしまい、それがゆえにそこで無意識の上に物語が終わりを迎えてしまうからなのではないかと思います。
 正味、これはどうしようもないことでしょう。「魔王」の正体に対する意外性が若干フライング気味(ネタバレになるので詳しくは触れません)だったりするのもありますが。
 この作品はおそらく、「過程」を楽しむ作品なのだと思います。
 推理小説のそれに限りなく近いですが、おそらく製作者側に、犯人(=「魔王」の正体)をわからせようという気持ちはほとんどありません。それはその「正体」が誰であるかという真実を見たところで露骨に感じます。
 ただ、ミスリードの中に事実を混ぜることによって物語を複雑にし、それによって「読む」ことを楽しませようという意識は伝わってきますし、そこにおいてはこの作品は完璧と云っていいほどに成功しています。
 また、この作品でも、それぞれのキャラクタに対するキャラクタ性と云いますか、個性がはっきりと出されています。水羽のキャラ付けと行動動機がやや不安定な気はしますが、それ以外のキャラについては、ステレオタイプでない個性のつけられたキャラクタの動きが楽しめるのではないかと思います。
 そしてもう一つ、忘れてはいけないのが「悪役」の書き方の巧さでしょう。
 『車輪の国』でも絶対的な悪役として「とっつぁん」というキャラクタが出てきましたが、今回ではそれが「浅井権三」という人物にあたります。「とっつぁん」がそうであったように、絶対的悪役としての権三は、本気で憎めたり怖がれたりできる書かれ方がなされています。
 魅力的な物語は魅力的な悪役がいてはじめて成り立つもの、というのは物語論としてひとつの常識ですが、魅力的な悪役とは、「本気で憎めたり本気で怖かったりする」描写がどうしても必要になります。
 そして、これまた「とっつぁん」がそうであったように、今回の権三も「主人公と完全に敵対する悪」ではありません。権三は主人公にとって義理の父親であり、育ててもらったという関係があった上での「悪役」に徹します。こちらは善あちらは悪という公式を成り立たせない構造にしているのです。
 こういう細かいところにおける巧さは物語のあちこちにあります。シナリオライターが敷いたそういう風呂敷の上で純粋に踊り、それを純粋に楽しめることというのが、この作品の何よりのポイントなのではないかと思うのです。

<CG>
 種類も豊富ですし、絵そのものも魅力的です。ハルあたりは特に見てくれにかなりのクセがありますが、それも意図してのものですし、あのキャラクタを可愛らしく描くというのはかなり難しいのではないかと思いますが、それもクリアしていると云ってもよいでしょう。
 時折出るディフォルメ調のキャラクタイラストも可愛らしさを誘いますし、絵に関しては誰でも抵抗感なく受け入れられるいい感じのものなのではないでしょうか。
 ただ、このキャラは絵があってもいいかな? というサブキャラクタに立ち絵がなかったりすることも多々あり、物語の進行がいいだけにちょっと残念だったりもします。

<システム>
 基本アドベンチャーで時々ノベルといった感じの作りで、バグもなく標準的なシステムではあるのですが、特別に使い勝手がいいとかそういう感じでもありません。
 特に、バックログのボタンが小さいので押しづらいのと、2ページ目以降にセーブをしたあとにゲームを再開しようとすると、ロード画面では1ページ目に戻ってしまっているあたりが微妙な使いにくさを感じます。
 あとはまあ、ゲーム中タイトルに戻れないとか細かいことはいろいろあるのですが、尤もこれは最近のシステムが親切になっているだけに感じることですから、一般的にゲームをやる上での評価としてはまったく問題はありません。
 そういう意味で特にこれと云って特徴のあるシステムではないのですが、一つ、「演奏中の音楽のタイトルを表示する」というチェックボックスがあり、これをONにしておくと、音楽が切り替わるたびに右上に曲のタイトルとアレンジ前の原曲タイトルが出ます。これはなんとなく悪くありません。

<音楽>
 いい感じです。歌モノも悪くはありませんが、それよりも既存のクラシック音楽(正確にはクラシック以外もあります)をアレンジした劇中曲が印象に残ります。「どこかで聴き覚えのある曲」が綺麗に嫌味なくアレンジされているので、ゲームのBGMとしては非常にいい感じです。お気に入りは魔王のテーマである「魔王」(シューベルトの曲のアレンジ)。聴いていて実に迫力ある曲に仕上がっています。
 声も非常にハイレベル。栄一がちょっと無理をしている感じがするのと、権三以外の男性脇役キャラの一部が妙に素人っぽい人がいることを除いて、女性キャラクタについてはまったく文句なしです。
 特に花音とユキが巧いですね。前者は微妙に甘えてくる感じ、後者はあくまでも感情を崩さない冷たさの中にある感情の起伏が巧く表現されています。

<総合>
 結局のところ、『車輪の国』と比べてどうなんだろう、ということになってくると難しい作品です。
 なぜって、「シナリオ」の項目でも述べたように、基本的に『車輪の国』と同じような構成をとっておきながら、微妙にその方向性が違うものであるからに他なりません。
 正直なことを云えば、叙述トリックというやつなのでしょうか、謎が解けたときの「そういうことだったのか!」という感じは『車輪の国』に及びません。
 それだからこの作品が『車輪の国』と比べてダメか、というとそうではないのだと思います。
 『車輪の国』が最後のインパクトに向けて物語を進めていったのに対し、この『G線上の魔王』という作品は、途中途中のエピソードレベルにそれを振り分けてバランスよくしたもの、という云い方をしてもよいと思います(『車輪の国』がバランスが悪いと云っているわけではありません)。
 それだけ、この作品の物語における過程というのはうまく、そしてその上で人を引き込むような作りになっているのです。
 ここは、『車輪の国』と比べる上でも絶対に留意すべきところでしょうし、単純に二つを同列で比較できるものではないということだけは把握した上で楽しまないと、この作品の面白みというのは、『車輪の国』よりもクライマックスの驚きが少ない、という単純な形で否定されてしまうのではないかという恐怖感があります。
 この作品も「ひっくり返し続ける」ことで完成されているのは間違いありません。それは、予想を裏切られる心地よさと、もしくは解決したはずの事案が実は解決していなかったという意外性に対する心地よさとで完成された物語です。
 これだけの物語はそうあるものではありません。時間を忘れて読み進められるような大作だと思います。

2008/06/02

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