車輪の国、向日葵の少女(あかべぇそふとつぅ)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント3+3+9−
シナリオ:るーすぼーい
原画:有葉
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『紅空恋歌』/エンディング:『祝福の大地、僥倖の世界』/挿入歌:『そらの隙間』)

<シナリオ>
 日本とよく似た、日本ではない国が舞台。そこでは罪を犯した人間は、その罪に応じた「義務」を負うことになっていた。主人公・森田賢一は、そういった「義務」を負った人々を監督する「特別高等人」を目指す最終試験を受けるため、片田舎の町へやってくる。そして三人の「被更正人」の監督を任されることになるのだった……。
 ま、普通に何の前知識なくこのあらすじだけを見ればなんのこっちゃさっぱりわからないでしょう。でも、実際にゲームをはじめてみれば、そこにある舞台設定の意味がどういうことなのかはすぐにわかります。取り立てて複雑な話ではありません。
 この作品、まず序盤からぐっと読み手を物語に引き込んできます。「特別高等人」だとか「義務」だとか、そういう言葉が何の説明もなく出てきて、なんじゃそら、ってところでやめてしまえば話は別なのですが、それがそういうものだということがわかると、一気に読み進めたくなる感じなんですね。だから、序盤だけ読んで「わけがわからなくてやめた」というのは、この作品に於いてはちょっともったいないです。
 というのも、この作品の凄いところは、物語そのものではありません。
 否、物語そのものもかなり魅力的ではあります。しかし、実のところ振り返ってみれば、そこで繰り広げられている物語にたいした展開があるわけではないのです。
 この作品の妙は、おそらくその物語を展開させる方法論にあるのではないかと思います。
 通常の物語では、ポイントごとに物語をひっくり返す展開を作ります。そうすることで読み手に先を読ませないようにして、話を盛り上げていくわけですね。昔から云われている「起承転結」というやつの「転」です。
 しかし、読み手だって馬鹿じゃありませんから、その「転」を読んだ上で物語を読んできます。ちょっとトートロジーめいた分かりづらい文章になってしまったのですが、要するに、「どうせここでどんでん返しがあるんだろ」ということを、無意識のうちに感じながら物語を読み進めているのだ、ということですね。
 それを隠すにはどうするか。最も簡単に思いつくのは、その予想を上回る以上のどんでん返しをすればいい、ということです。
 たとえば、主人公の恋人がこのままだと必ず死ぬ病にかかっていて、主人公はそれを治すために奮闘する、という物語があったとして、一番基本的などんでん返しは「恋人が絶対助からない病気から回復する」という展開でしょう。
 しかし、物語を読みなれてる人ならば、「どうせ助かるんでしょ」という先入観を無意識のうちに持ちます。これはもう仕方のないことで、どうにもなりません。だって、物語って「そういうもの」なのですから。
 それならば、ひとつの方法論として、「そのまま恋人を殺してしまう」という展開があります。これはひとつの「展開の裏の裏をかく」もっとも単純な形のひとつでしょう。通常、物語というのはこういう「読み手の裏の裏をかく」ことをベースに構築されているわけです。
 もうひとつ、ひっくり返すのをさらにひっくり返して、そこからまたさらにひっくり返して……という連鎖を続けることで先を読ませなくする方法論があります。
 こうなるだろうなあという読み手の予想をひとつあえて読ませておき、そのとおりにしながらその中で予想をひっくりかえさせて、その中でさらにひっくり返して……という展開を物語の最後まで続けるというもので、読み手をひき付ける方法論としてはかなり有益ながら、それを実際に物語に組み込もうとすると、これほど難しいものはありません。
 だって、物語というのはある一点からもうひとつの点へ移動する一本の線なのですから、それをひっくり返しつづけていれば、この線はいつか破綻します。破綻までしなくとも、伏線がとっちらかって収拾がつかなくなって、なんか謎めいた話だけど何一つ解決してないよね、という終わり方をしたりします。
 その破綻を避けるために行われる手法が「後付け設定」というやつで、物語の冒頭ではなにも解説されていなかった設定が後になってぽっと出てきて、それを契機に物語が展開する、というパターンです。どうにもならない、絶体絶命な状況に置かれた主人公が「実は俺は宇宙から来た万能の宇宙人なんだ」と云って超能力で敵を倒してしまうようなものですね。
 これは極端な例ですが、この手法がまずいことは誰にでもすぐに分かるでしょう。推理モノの話で主人公が犯人であるというオチがタブーなのと同じことです。
 もちろん、先にすべての設定を出してしまえば物語が先頭で破綻しかねませんから、それそのものがまずいのではありません。ただ、物語の根幹にあるべき設定を、なんの根拠もなくまったく新規に出すのは、これはいくらなんでもちょっとまずいということになります。ゲームに限らず、漫画や小説など物語を読んでいてそういう経験をしたことがある人はおそらく多いと思います。
 と云ったところで、話はようやくこの『車輪の国、向日葵の少女』の話へ戻ります。
 この作品が凄いところは、そういう「後付け設定」をまったく出さず、ひっくり返しつづけることで物語を展開させ、それによって読み手をどんどん世界へ引き込んでいく展開の巧みさにあるのではないかと思うのです。
 もちろん、後になってこれはこういう意味だ、という解説がある点はあります。しかしそれは、こちらが読もうと思っている範疇の外にある出来事であるということがポイントで、ネタバレになるのでなかなか巧いことは云えないのですが、それは絶対に必要である設定でありながら、「これはどういうことなんだろう」とわざとこちらに思わせながら進めさせる点と、こちらがまったく意識せずに読み進めているところの出来事が同時に解かれていくため、読み手は常に物語の中で新たな「発見」をします。
 謎の中にあたりまえのように謎を隠す、日常の中に当たり前のように謎を隠すというふたつの方法論を組み合わせることで、隠れている謎とそこにある謎が同時進行で進んでいきます。ここが何より、この作品のものすごいところなのではないかと思うのです。
 これは未プレイの人にはちょっと伝わりづらいところでしょうが、既にプレイ済みの人ならば納得していただけるところではないかと思います。
 それが最初から最後まで、絶妙なバランスで続くのですから、物語そのものは全五章で結構なボリュームが有るはずなのに、それをほとんど感じさせません。完成されたひとつの物語として、最初から最後まで一気に読み進めてしまえるパワーがあるのです。
 確かに、文章そのものはやや荒削りというか、読んでいてちょっとつっかかるところがないではありません。特に主人公やその周りのキャラクタたちが云うギャグのところになるとなんとなく文章がゆれたりしますし、舞台の設定を会話でやるにはやや説明的に過ぎるところがないわけではないのです。
 ですが、それはほとんど気にならないレベルでしょう。それが却って演出になっているところもあるわけで、このへんは一概にこれがダメとかあれがダメとかで片付くようなことではありません。
 そういう展開の妙のおかげで、物語そのものの魅力も結果として底上げされているのは確か。ちょっと舞台と読み手との距離感にぶれがあるのが気になりますが、そのへん含めて演出になっている面もあるのでこれをどう評価するかはなかなか難しいところです。今までの型にはめた手法評価でこの作品のシナリオを評価すること自体、ちょっと無理があるのかもしれません。
 これ、確かに云ってしまえば本当に突拍子もない話なのです。設定云々もそうですし、それ以外にもじゃあこれがいったいどこまで現実的……つまり「リアル」かと云えば、それだけ読めばそんなものは微塵もありません。が、先に述べたような展開による引き込みのおかげで、それが頭の中でリアリティあるものとして構成されていくのです。
 レトリカルなものを超えた、展開そのものによる物語の構築というのは、きっと考えている以上はるかに難しく、それがゆえに完成されれば驚くほど物語を魅力に買えるものになるのではないかと思います。この作品は、素晴らしい完成度を以ってそれを見せてくれたのではないかと思うのです。
 あとはキャラ付けの巧さでしょうね。結局、作品設定が作品設定だけに、アクの強いキャラクタが作りやすいのはある種事実ではあると思うのですが、それを踏まえてもキャラクタごとの特徴の出し方に巧さが目立ちます。登場キャラクタがあまり多くないとかいうのもないわけではないんですけども、その中でもそれまでどこかで見たようなキャラにカテゴライズされないような、作品オリジナルのキャラクタ性がしっかり出ているので、ゲーム終了後も作品とキャラクタがしっかりとリンクして記憶に残ります。何気ないことですが、これって結構重要なことなんじゃないかなと思うのです。

<CG>
 正面のアップとかで時々やや不安になるところがないわけではないのですが、その他はおおむね綺麗で云うことはありません。男キャラもないがしろになっていないのもポイントが高いです。
 見てくれに関しては灯花・まなあたりが一番安定しているかな、という感じ。逆にさちは不安になることが多いような気が。京子も同様にちょっと不安な感じが漂っているあたり、頭身がちょっと大きいキャラクタがちょっとアレなんでしょうか。ただ、立ち絵はあまりそういうのを感じさせませんし、表情もものすごく豊か(というか、夏咲なんかだとものすごく贅沢な使い方をしているところもあったりします)なので、画面にそういう違和感が際立つとかそういうのはまったくありません。
 あと特にどうでもいいことですが、CGモードの左下にいるデフォルメキャラがなんか無償に可愛い気が。ゲーム中にも時々そういうのがぽっと入るんですが、これが結構効果的なアクセントになっているんじゃないかなという気はします。

<システム>
 これもまた特に可もなく不可もなく。目立ったところがあるわけではない普通のアドベンチャータイプで、特にバグがあるでもなく、スキップやバックログなど必要最低限の機能はちゃんと揃っています。便利なのは、キーボードでのショートカットがちゃんと設定されていることと、セーブデータをロードしてもちゃんとそれ以前の履歴が読めること。これがあるだけでだいぶ利便性は変わってきます。

<音楽>
 歌は三曲。どれもバイオリンが聴かせてくれる曲で、特に挿入歌の『そらの隙間』はメロディが綺麗で聴き応えがあります。
 劇中曲も結構名曲揃い。音楽自体がものすごく多いのも特筆すべきポイントですが、わりと落ち着いた感じの曲が多く、聞いていてもなんとなく落ち着くような感じ。これだけあるとさすがにシーンごとにかなり細かい音楽の変化をつけられるので作品の雰囲気にもマッチしていて云うことはありません。個人的には『空き地と呼んでいた広場は』『夏の花』『mallow』あたりがお気に入り。
 声もいい感じです。二人の男キャラクタにもちゃんと声がついているのもいいですね。キャラに特にハマっているのは灯花と法月、まな、瑠々子。特にまなと瑠々子は演じるのが難しいキャラだと思うんですが、びっくりするくらいうまくこなしています。ギャグ系の台詞のときにちょっと無理がある気がしないでもないんですが、あのテキストを忠実にやろうとすればあれしかないのかなという気もするので、これはまあひとつの妥協点でしょう。
 欲を云えば、この作品に関しては主人公・賢一にも声が欲しかったなあ、と。主人公に声を入れるというのは確かに一つの賭けだとは思うのですが、こういうドラマとして完成された作品であるならば、それはきっと有効に働くのではないかなという気がするのですが。

<総合>
 なんというか、SFですよね、一種の。わたしみたいなSF素人には、SFというと宇宙でロケットがぴゅんぴゅん光線で戦ってるイメージしかないんですけども、そういうことではなくて、設定をひとつつけてその中で物語を展開していくSFの手法。この作品、結構評判がいいそうなんですが、そういうSF好きな人に受けてるんじゃないでしょうか。たぶん書いてるシナリオの人もSF好きな人なんじゃないかな、という気がします。
 物語を複雑なレトリックで煙に巻くのは実は簡単です。でも、この物語はそれをしませんでした。最終的に出る結論であり物語の終焉は、実はものすごく単純でわかりやすいんです。だから、読後感にある感じが凄くさっぱりしてて、「複雑なのに綺麗にまとまっている」作品になっています。
 これ、普通に物語を読むことにカタルシスを覚え、それそのものに楽しみを見出せる人であれば楽しめるでしょうし、その展開の妙に唸ること間違いなしです。確かに、一時期あったような、物語の結末に感動して泣いて、みたいなそういうタイプの話ではありません。もっと大局的な、「ああ、いい話を読んだなあ」という感覚。「面白い」という言葉といっしょに「凄い」という言葉が出てくる感覚。ここにあるのはそういうものですね。
 上にも書いたのですが、結局、この物語を従来の物語の理論で語るのはもう不可能だと思うのです。この作品、そういう枠内で物語を語るにはとられている手法があまりにも特殊すぎます。舞台の視点をどこに置くか、というのは物語に於いてものすごく重要なことで、これが揺れている作品はどうしても不安定になりがちなのですが、この作品はその揺れをあえて利用しているのですから。
 メタ物語というのともちょっと違う、物語の中に舞台を置いてそこからまた物語を見つめるという「第三の視点」ですね。
 この作品の何が凄いかって、こういう視点をゲームとして昇華させてしまったことにあるのだと思うのです。それは「あの」大きなトリックでもそうですし、主人公が行う行動一つ一つの物語の中と外に対する影響すべてにおいてのことです。
 現在、ちょっとソフト自体が手に入りづらい状況になっているそうですが、もし手に入るようなら是非。個人的にはオススメの一本です。でもって、まさかの大トリックに驚いてください。わたしはもうむちゃくちゃ驚いた。

2006/10/28

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