1・前夜祭

 三倉神社はその日、年に二回の活気に満ちていた。
 注連縄の張り巡らされた境内では、人々が準備に駆け回っている。
 小さな町だ。たくさんの人が入り乱れて……ということではない。
 動いている人は数人なのだけれど、人々の顔は祭りを明日に迎えた不思議な高揚感があった。
 境内の周りに広がる田んぼでは、その祭りを待ちわびるかのように、刈りいれられた稲の藁が幾重にも積み重なっている。
 ほかには大きな建物もなかった。
 わずかばかりの家と聳える大きな山、そして田んぼだけがずっと遠くまで広がっている。
 平凡な田舎町。
 そんなところかもしれない。
 八代郡三倉町――まわりを山々に囲まれて閉ざされた、東北地方の山深い小さな集落である。
 そうでなくても外へのアクセスはよくない上に、交通網も決して発達しているわけではなく、雪などが降ってしまったらもうどこにも出ることができない。
 そういう不便はもちろん、農業以外の産業がほとんどないこの状況もあわせて、最近では人の流出も激しい。
 まばらに人が住んでいるだけの、いわゆる典型的な過疎地域だった。
 しかしそんな三倉町も、この祭りのときだけは賑わいを見せる。
 普段は人の姿もまばらな神社ではあるのだが、この日だけは町中の人々がいっせいにこの場所を訪れるのだ。
 それゆえに、あれこれと準備に駆け回る人々も別に神社の人だというわけではなかった。
 そんな境内の隅、どちらかと言えば年嵩の行った人々に混じって、二人の少年少女の姿がある。
 帰ってからそのままなのか、二人とも学校の制服姿だった。
「……よくわかんない。つまり、どういうこと?」
「僕だってわかんないよ。昨日、急に言われたことなんだから」
 はあ、と少女がため息をつく。
「あのねえ。一応、自分のことなんだから」
「……だから、急に昨日言われたんだってば。祭りが終わった日からあっちに移る、って。それだけしか聞いてないから、僕にもわかんないの」
 少年……恵那が、むっとした表情で反論する。
「だいたいそんなこと、双葉には関係ないんだからさ」
「関係ないことない。朝に起こしに行くのも変わるかもしれないんだし」
「いつも起こしてるのは、どっちかって言うと僕のほうじゃんか」
「そうだっけ?まあ、いいじゃないそんなことは」
 双葉、と呼ばれた少女が、楽しそうにからからと笑った。
「とにかく。詳細、わかったら電話でもなんでもいいから教えること。いい?」
「……わかったよ」
 はあ、と今度は恵那がため息をついた。
 完璧に一方的に押されている。
 この光景も、ずっと昔からのものだった。
「でもさ、恵那も、お祭り近いと大変だね」
「大変だってわかってるんだったら、手伝ってくれればいいと思うんだけど」
「だからほら、わたしはわたしなりに手伝ってるじゃない」
 と、階においてあった弁当箱をぐっと押す。
「……双葉のおかずは美味しいんだけど、もうちょっと全体的に味を薄くしたほうがいいよ。たとえばこのハンバーグ、もっとソースの味を薄くしたほうがハンバーグそのものの味が……」
「あーもう、うるさいうるさい」
「うるさいって……」
「……あのね。小さいころからお料理を仕込まれてる誰かさんの技術と比較しないでほしいわけ」
「それは、だって別に僕だって好きでやってたわけじゃ……」
「……なんかさ、恵那のお嫁さんになる人って大変だよね、たぶん」
 そういう双葉も旅館の一人娘で、母親である女将からいろいろ料理の基本からしっかりと仕込まれている。
 観光客は少ないとは言えそのへんはちゃんとしてるところだから、当然料理も本格的なもの。
 事実、双葉の作った料理も、その旅館でも通用するくらいの代物ではあるのだ。
 双葉が、再びため息をつく。
「それでもこれだからなあ……」
「え?何か言った?」
「いーえ。なんでもありません」
 最後のひとつだったハンバーグを、双葉はぽいと口に放り込んだ。
「あ、それ、僕の分!」
「まずいなら食べなくて結構です」
「……まずいなんて言ってないのに」
 時すでに遅し、というやつだった。
 ごくん、とハンバーグを飲み込む双葉。
「で。恵那は何か手伝わなくていいわけ?毎年、準備を手伝ってるの見たことないんだけど」
「うーん……僕は前日はあんまりやることなくて。ほとんど氏子さんがやってくれちゃうし、総代さんにもお前は休んでて明日に備えろって言われちゃってて」
「それでそんなに手持ち無沙汰なわけかあ」
「うん、まあね」
 恵那が苦笑した。
 氏子さん、というのは別にそういう名前の人というわけではなくて、神社の付近に住み、その神社を崇める信奉者の人々を指す名詞。「総代さん」もいっしょで、氏子の代表が「総代」になる。
「でもなんか、今年はいつもより、総代さん張り切ってる気がする」
「そう?」
「うん。なんとなくだけど」
「そうかなあ……あ、そうか。そうかもね」
「なにかあるの?」
「うん。なにか、ってことじゃないんだけど……なんか明日のお祭り、えらい人が見にくるみたいだから」
「え?」
「うちの旅館にね、なんかどっかの社長さんだか忘れたけど、とにかく東京から来たえらい人が泊まってるの。こんなとこ何しに来たのかなって思ってたんだけどね、明日のお祭りを見に来たみたい」
「へえ……なんでわざわざ?」
「お母さんから聞いただけだからよくはわかんないけど、なんか、そういうお祭りとかに興味があるみたいよ。いろいろ聞いたりしてたみたいだから」
「ふーん……」
「だからじゃないかな、いいとこ見せようって思ってるのかも」
 ぜんぜん知らなかった。
 なんか、ちょっと悔しい気がする。
 教えてくれたっていいのに。
「そういうことだから、明日は大変だよ?そっちのほうは大丈夫?」
「それはだって、毎年やってることだから……いまさら何があるってわけでもないし」
「あー、そうねえ。それはそうかもね」
言ってから、双葉は何かを思い出したように、
「今年もまたアレが見られるんだねえ」
「……僕は嫌なんだけど」
「なんで?」
「なんでって……決まってるじゃない。恥ずかしいし」
「何言ってんの。間違いなく巧いんだから自信持ちなさいってば」
「違うよ。それ自体は別にいいんだけど、その……格好が」
「なーんだ、そんなことか。そんなの、それこそ毎年のことじゃない」
「そうなんだけど……やっぱり嫌なの、ああいうのは」
「ええー、そうかな。わたしが前にお手伝いさせてもらったときよりも、ずっと似合ってると思うんだけどなあ。恵那ってどっちかっていうと女の子顔だもん」
「ぜんぜんうれしくないってば……」
 恵那がため息をついた。
 双葉が言う「アレ」。
 祭りに奉納される神楽のことだ。
 三倉神社の秋祭りはいわゆる収穫祭で、その年の収穫と来年の豊作を願い、神楽を奉納する慣わしがある。
 通常の神社と同様、神楽を奉納するのはいわゆる「巫女」。すなわち神前に仕える結婚前の女子ということになっているのだが、三倉神社の場合は多少そのへんが厳格で、ここで神楽を奉納できるのは瑞浪家の血を引く者でなければならないと決められているのだ。
 ちょっと説明が必要かもしれない。
 代々、三倉神社を守ってきた瑞浪家の系図というのは、ちょっと特殊なのだ。
 普通、男性と女性が結婚して子どもを設けた場合、男子が生まれる確率と女子が生まれる確率は、基本的にはそれぞれ五十パーセントになる。性別的にはどちらが生まれるかわからない、ということだ。
 しかし、この瑞浪家では、どういうわけか生まれる子どものほぼすべてが女子なのである。
 千年以上の歴史がある瑞浪家だが、その中で男子が生まれたという記録は、驚くべきことに十人程度。
 あとはみな女子が生まれ、ある程度の年齢になるとほかの神社などから養子として男性を迎え入れ、この神社を守り抜いているのだ。
 そしてそういう特殊な家系だからこそ、「神楽を奉納できるのは瑞浪の血を引く巫女だけ」という条件が成立しうるのである。
 しかし、本当にごく稀に……百年に一度あるかないかの確率ではあるが、瑞浪家にも男子が生まれる。
 そういうときは例外的に、その男子が「巫女として」神楽を奉納することになっていた。
 だからこそ、瑞浪家に生まれた男子は、幼いころから女性としての作法も徹底的に仕込まれることになる。
 恵那……瑞浪恵那も、そのように瑞浪家に生まれたごく稀な男子の一人だったのだ。
 恵那、という中性的な名前が彼に与えられているのもそういう理由がある。
「ま、いいじゃない。アレはアレで、楽しみにしてる人もいっぱいいるわけだし。わたし含めてだけど」
 などと、悪戯っぽく笑う双葉。
「うう……」
 なかなか慣れないのだった。

戻る