08/29 「エロゲー論」

 というわけで、まああれですよ、ここが更新されないことについてはもうそういうもんだってなもんで文句も来なくなった昨今ですけれども、そんなこと云ってられないぞってのは、結局いまこのサイトってのは、この日記なんだかなんだかわからん文章以外まったく更新されてない、という厳然とした事実なわけです。
 それでここすら更新されなくなったらいったいこのサイトの存在意義ってのはなんであるのかみたいな話にもなるわけですが、そんな中であえてちょっと昔話をしてみようかな、と思ったわけですよ。
 もともとここのサイトというのはエロゲー(という云い方をあえてしますが)のレビューサイトでして、今では日に10人も来れば立派なものだみたいなことになってますが、現役当時いつくらいかなあ、それこそ2000年代前半とか、エロゲー業界もいわゆる『Air』『Kanon』をはじめとした「泣きゲー」を中心に大盛り上がりしていた頃には、それこそ一回更新すればそれなりに見に来てくれる人もいて、まああれです、鉱山がにぎわってた頃の炭鉱街みたいな感じだったわけです。
 それがいつからかな、わたしがエロゲーというものを(といいますか、ゲームそのものを)あまりやらなくなって、必然的にレビューの更新も滞ってきたあたりから、そもそもの話としてネット上での「エロゲーを語るレビューサイト」というものが下火になってきたんですね。
 もちろん今でもやってるサイトはたくさんあるのでしょうが、あの頃、エロゲーを熱く語るというか、エロゲーをネタにモノゴトを語るムーブメントみたいなのがあり、その頃の熱さに比べればその温度差は明らかに差があります。
 ふとこのころの温度を思い出し、そういえばああいうのって今どうなってるんだろうなあ、などと思ってちょっと調べてみると、そういうのは今では「エロゲー論壇」と云われている、というハナシだそうで、ほほーと思わず唸ってしまいました。
 論壇とはまた大きく出たなあと思いはするものの、考えてみれば語る対象が思想や政治や哲学や自然科学か、あるいはエロゲーかというだけの差で、あのときの温度はまさに「論壇」というに相応しいものだったのですね。今では考えられないことですが。
 これが面白いのは、今ではともだちおらんのかと云われるくらいのこのスタンドアロンなサイトですが、たとえばわたしが「このゲームについてはこういうところがこうだった」みたいな話を書くと、それに対して別のサイトの管理人さんが、自分の日記(当時は「ブログ」は主流ではなかったので)を使って「この人はこう云ってるが、私はこう思う」みたいなやりとりがあり、それはまさに「論壇」のそれだったわけですよ。
 このゲームのだれそれが可愛いとか、このCGが可愛いとかいうんじゃなくて、いやまあもちろんそれもあったんですけど、このキャラのこの仕草がなぜ可愛いか、そしてその可愛さはこの作品のテーマとどうつながるかみたいな、これをもとにそれこそブラウザが1ページ丸々埋まるような熱い文章がそこここにあって、読むほうも書くほうもものすごい熱量だったわけですね。
 エロゲーなんてオタクがオナニーするための気持ち悪いモノでしょ、みたいなことではまったくなく、いやまあもちろんそういう側面も多分にあったのでしょうけれども、それ以外にもそこにはもうそれをテーマにした真剣な思想のぶつけ合いがあって、それはそれで刺激的だったわけです。
 尤も、アイドルでもお笑いでもゲームでも「それをテーマに真面目に語る」人たちはいるわけで、その中のひとつとして「エロゲー」があった、というほうが正確かもしれません。
 そうするとまあ、必然的に親しくなるサイトみたいなのが出てくるわけで、今ならツイッタとかそういうもので繋がるのでしょうけれど、当時はそんなものなかったですからね、「今回のあのレビュー、こういう風に書いてありましたが私も賛成で、さらに付け加えるならこういうことなのではないか」みたいなメールとか掲示板(匿名のやつじゃなくて、昔は個人サイトの多くが備え付けてあったんです)のやりとりがあり、それをきっかけに親交が深くなって実際に会って遊んだりする、みたいなことが結構あったんですよ。このあたりは入り口が違うだけで、ミクシとかツイッタでもあるんでしょうけれど。
 ここを長いこと読んでる人だと、あの頃の温度みたいなものをなんとなく覚えてる人もいるかもしれませんから、そういえばあったなあってなもんでしょうけどね。
 いや、あの頃はエロゲーがすごく面白かったんですよ。いえ、別にいまのエロゲーの質が落ちたと云ってるんじゃなくて、年齢だったり環境だったり、そういうものがあの頃のエロゲーを楽しませてくれるところにあったと云うかね。物語に熱中できるときにたまたま物語としてのエロゲーが数多くあった、という偶然だと思います。
 もちろん、当時は「泣きゲー」とか「雰囲気ゲー」みたいなのがすごく流行ってて、感動するとかなんとなくほんのりするとか、あるいは直接的には触れられていないメッセージを読み解くとか、そういうゲームがたくさん出てたわけです。そしてこのあとに、もうちょっと漠然とした「セカイ系」になっていくわけで、このへんの流れは全年齢向けのアニメとも微妙にリンクしてる感じがありますね。
 泣く、っていうのは現実で起こっている面倒なことを全部忘れさせてくれるくらいのすごいカタルシスですから、それによって解放されるものというか、鬱屈した現実から一瞬でも逃避できるあの感覚が、エロゲーという一見して下世話なものとして扱われているものから得られるというマイナー感もあったと思うんですよ。
 そこからさらに、感動して泣くとかぐっとくるとか、自分の中にあるそういう感情を文字に起こすことで形になっていくことそのものがまたカタルシスだったりもするんですが、ともかくそういうあれで、「エロゲーをやって、それで泣いたり感動したりして、それがどう面白かったかを文章にして発表して、それに対して反応がある」というこの一連の流れが、すごく面白かったわけですね。
 今見ればかなりオーバーというか、そんなこと製作スタッフもまったく意図してないんじゃないかみたいな、世界はユダヤが牛耳ってるみたいな陰謀論よろしく深読みしすぎてなにがなにやらわからなくなってることもままありましたけども、それってそういうオタク的なものにハマった人の宿命みたいなもんですからね、『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』から人生を学ぶ人もいれば、いまどきだと『まどかマギカ』や『アイドルマスター』から人生を学ぶ人もいて、そのときのわれわれは間違いなく「エロゲーから人生を学んでいた」わけですよ。
 繰り返しになりますが、じゃあ今のエロゲーがつまんないかっていうとそうではないと思うんですよ。
 結局、仕事が忙しくなったりほかにやらなきゃいけないことも増えてきたりして、わたしがエロゲーをやらなくなっただけの話で、今でも昔と同じくらいそういうゲームがあって、当時のわたしと同じくらいの年齢の人は、やっぱりそうやって今のエロゲーを楽しんでいるのかもしれない。ブログやツイッタ、SNSが発達して、「論壇」は消えてしまったけど、今でもエロゲーを語る人は数多くいるんでしょう。
 だから、単純な「昔はよかった」論ではないんですね。エロゲーの売り上げが落ちたというのはよく聴く話ではありますが、むしろ昔のように、何万本も売れるゲームが月に数本あった時代のほうが異常だったのかなあとも思います。
 ただ、わたし自身が、エロゲーからそれを読み取り、それをカタルシスにするには年をとりすぎて、環境も変わりすぎてしまった、とそういうことなんだと思うんですよ。
 んで、話を戻します。
 誤解を恐れずに云うと、あの頃、エロゲーは競い合うかのように「文学性」を高めていました。「『CLANNAD』は文学」などという揶揄とも称賛とも自虐ともつかない言葉ができたように、「泣く」というポイントを突くため、エロゲーはどんどん難解に、「読み解くもの」になっていったわけです。
 ユーザもある程度までそれに追従し、表層にある「泣き」の中の難解な深層からメッセージを読み取り、そのメッセージに文学性を求めることで、ユーザたちにより「エロゲー語り」は「論壇」になっていったわけですね。
 上にも書いたように、そこからさらにこれは「セカイ系」へと進化していき、さらにその難解さを増していって、これもう泣くとかなんとかじゃないよね、というところに行きつきました。
 本来であればこのあたりの流れってのは、きっと近代オタク論みたいなところへ繋がる話なんでしょうけれど、ここでそれを語るのは本意ではないのでとりあえずやめときます。あくまでもわたしのまわりで起きていた事象、ということで読んでいただければと。
 んだから、あのゲームレビューってのは、今見れば黒歴史と云うか、こっぱずかしい文章に映るかもしれませんが、少なくともあの頃のわれわれは本気で感動してたし、本気であれを語っていて、そこには真剣さしかなかったわけです。
 そうしてできていくコミュニティもみんな真剣だったですしね。その真剣さが黒歴史なんだと云われたらそうかもしれませんが、それが黒歴史なら少なくともわたしはその黒歴史に後悔はしてません。黒歴史も作れない青春時代に何の価値があるというのか。
 ただね、ゲームレビューっていわゆる「感想」ですから、読んでいる人からのレスポンスって基本的にないんですよ。
 だって、レスポンスってのも感想ですから、感想に対しての感想ってのは「俺もそう思う」「俺はそう思わない」くらいのもんで、わざわざ伝えるほどのこともないわけです基本的に。
 ところが上にも書いたように、その「論壇」時代というのは、その「感想に対する感想」が普通に流通していたというか、そのやりとりこそが本命だといえるところもあって、上記のような自身の考えのやりとりが行われ……つまり、エロゲーというものをベースにした自らの哲学とか考えとか、そういったものを発表し合っていたわけですね。
 まあこれは、卵が先か鶏が先かの話になってしまうんですけれど、そういうあれがあるからレビューの更新も頻繁になるし、へんな云い方をすればやりがいってのかな、そういうあれがあったわけですよね。だって、書いたことに対してコンスタントに反応がくるわけですか。
 ところが、これが下火になってくると、そういうやりとり自体がなくなってくるから、本来の姿に戻ってくるってのかな、「書いても特に反応がない」コンテンツへ戻っていくわけです。
 ゲームのボリュームもどんどん増えてきて、1プレイが10時間を超えるようになり、それをコンプリートしないとストーリの真意はわからないようになっていて、その真意をつかんだうえで丸一日かけて文章を書いていくわけなんで、こうなってくるとそれはもう趣味の範囲の感想というかもう仕事みたいなものですからね、カロリーがハンパじゃないことになってくるわけなんですが、それだけカロリーを使っても特になにがあるでもない、というのは、これはこれでなかなか難儀なものなんです。
 このあたりから、だんだん「好きでゲームをやっていて、その感想を書いていた」ものが、「文章を書くためにゲームをやらなければならない」という義務にかわっていき、しかしその義務を果たしたところで特に見返りがないというそういう状態へと変わっていったわけですね。
 このサイトの「ゲームレビュー」が更新されなくなったというのは、単純にそういう「ゲームをやって、感想を書く」ことが義務化して重荷になりはじめたというだけの話で、別にこのサイトで金輪際ゲームレビューを書かないとか云うことではないんですが、やっぱりどうしてもテンションは下り気味になってしまうんですよ。
 別にそれでお金をもらったりしているわけではない以上、なにかきっかけとなるテンションがないとやっぱり労力をかけることに対しての躊躇が生まれるのは仕方がないことで、ましてや以前はほぼ無尽蔵にあった時間がなくなってくるにつれ、それが下火になるのは仕方がないことかなと思います。
 わたしの場合、もうひとつ、昔からわたしのサイトに通ってる人で、それこそ当時「論壇」の中にいた方なら誰でも知っているであろう「事件」があって、それも大きな原因ではあるのですが、それはまあこの話とは直接関係ないのでまあよいです。
 だもんで、いまエロゲーのレビューサイトというのはおそらくそんなに多くなく、うちのように昔のサイトが更新しなくなってるだけならまだしも、完全にサイト自体が消滅してしまっているケースも少なくないのでしょう。
 でもそれは仕方がないことで、別にゲームが昔に比べてつまらなくなったわけではなく、かつて「論壇」が機能していたときは、レビューそのもののやりとりが面白かったものが、論壇がなくなってしまった以上、レビューを書くことの楽しみを見失ってしまった人も多かったのかなあという気がするんですよね。
 だから、かえすがえすも今では笑い話というか自虐的な意味も込めての「エロゲー論壇」という言葉なのでしょうけど、あながちその「論壇」が無意味だったかというとそうではなく、エロゲーの中に物語や哲学を見出して楽しむというのは、あえて大げさな言い方をするのであればエロゲーをオナニーのためのツールから、「作品」として昇華させた重要なプロセスだったと思うのです。
 ……と、この文体自体に懐かしいものを感じる人は多いと思いますが、今回はあえてその頃のレビューの文章に似せてというかあの時の文体をなんとなく思い出して書いてみました。まあ我ながら、誰の影響を受けたんだかって文章だよな。


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