08/05「テレビ論」

 ということで、なんてかあれですよね、今あたしのアパートには普通に地上デジタル対応のテレビが置いてあって、それでこうだだらにお昼のわけのわからない通販番組なんかを見てるわけです。もうね、いやそれ高いだろそれってな値段を勢いで押そうとするの。掃除機一台8万円とか高いだろどう考えても。なに吸うんだよ。いやゴミなんでしょうけども。
 それにひきかえ、実家に帰ると実家には普通のアナログのブラウン管テレビしかないので、実家に帰ってテレビを見てると、右上には「アナログ」とか出てるわ、逐一下のほうに「おいこの馬鹿野郎、お前のこのポンコツテレビじゃ2011年から今流れてるテレビとか見られなくなんぞ? だからずっと云ってるだろ? ほんとに物分りの悪い奴だなお前はそんなことだから中学生のとき生徒会書記にクラスで立候補する人を決めようとしたときにお前に手を上げてくれる人が一人もいないみたいな事態に陥るんだよボケ」みたいなことがすごいソフトに丸めた感じで流れてるわ、まあ大変だなと思うわけです。ほっといてくれ。
 そこまでして見たいテレビがあるかと云われると実に微妙ですし、少なくとも録画してまで見たいと思うものがないからこそいまだにうちではVHSなどと云うロートル機が現役で活躍しているわけなんですけども、だからと云ってテレビと云うのはなければないで困ったものだみたいなことにはなるわけでして、まあもうちょっとすれば安くなるだろとか思ってそのままほっといてるわけなんですが、これで駆け込み特需とかで意外に下がらなかったらどうしようって感じですね。いや別にいいんですけども。
 なんてかな、テレビってちょっと前まですごい憧れのものだった気がするんですよ。
 あたしが小学生とか中学生とかの頃はまだテレビというのは基本的にそれなりに高価でしたから、自分の部屋にテレビがある友達というのがちょっとずつ増えている時期でして、それでも我が家ではそういうことに金を使わないという絶対的な教えみたいなのがあり、テレビが自分の部屋に来たのは確か大学に入ってからだったような気がします。
 いやまあそれはそれでいいんですけども、そのおかげでファミコンは好きなときにできないから友達から借りたドラクエはちっとも進まないわ、アニメも見せてもらえないから当時流行していたアニメはもちろんいまだに一回もガンダムを見たことがないわ、当時大人気だった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』も『天才たけしの元気が出るテレビ』も『とんねるずのみなさんのおかげです』も父親が見ていたプロレスやら野球中継やらで見せてもらえず、おかげで翌日クラスの友達との会話にまったく参加できず、そこから野球とプロレスが大嫌いになったりとかしたりもしたもんです。今考えればなぜみんなしてあんなで「仮面ノリダー」の話で盛り上がれていたのか謎は尽きませんね。
 まあそれだけテレビというものが受像機としてもまたはシステムとしても非常に生活の中で大きなウエイトを占めていたのだと思うのですよね。
 それが今ではテレビの価格は驚くほど下落したおかげもあり、子ども部屋にテレビが備え付けられていることなどごく当たり前で、別にそれを特別なこととも思わないというのに実に時代を感じたりするわけです。まあ今携帯電話にテレビついたりしてるしな。
 しかしまあ、それと相反するかのように、テレビの信頼性というのは下がっているわけで、なんかもうテレビは信じられないという論調がネットを中心に広がっていたりするのを見るにつけ、なんかそれもそれだよなあと思ったりもするわけです。
 テレビだけではなく、新聞や雑誌とかをひっくるめて、既存メディアを全部まとめて「マスゴミ」なんて云って息巻いてるネットの発言を見るにつけ、なんかもう若いって素晴らしいよなあなんてほほえましい思いでいるわけですけど、なんかこれがどうも若い人ばかりではなく下手すればあたしなんかより年齢が上の人もいたりするのではなかろうかということになんとなく危機感を覚えないではないですがそれはともかく、まあなんてか、ネットの急激な広がりがこういう自体を招いたのは間違いないでしょう。
 いやまあね、テレビがなんとなく信じられないというのは確かに事実だと思うのですよ。
 あたしも一度、過去にテレビの取材を受けたことがあって、それは結局放映はされなかったのですがかなり「絵を作ろうとしていた」ことに衝撃を受け、しかもそれが某国営放送だったものですから、某国営放送ですらそれならば民放局なんてこんなもんじゃすまないだろうなあなどと思ったものです。
 でもね、でもですよ、テレビや新聞が信じられませんマスゴミはほんとにアレだななんて云ってる人たちが何を信じてるかと云うと、これがネットなんですね。
 不思議なことに、テレビや新聞は偏向しててまったく信じられないけど、ネットならある程度信じられるという不思議な信仰があるらしいと。しかもその根拠がいち個人のブログや匿名掲示板の発言だったりして、それよりもテレビが信じられないというのは、まったくもって意味がわからないとしか云いようがないわけです。
 テレビにも真実があるし、ネットにも嘘があるわけですが、なぜかテレビは嘘だらけで、ネットは嘘が少ないという思い込みはいまだにネットユーザの間で非常に根強いわけで、こういうのは結局声が大きいほうがなんとなく真実っぽく聞こえますし、テレビがテレビの存在意義を批判しないように、ネットはネットの存在意義を否定しませんから、なんとなくネットの中ではネット妄信者が広がっていくのは当然と云えば当然の話です。
 なんかですね、これを「ネットというのは大衆の集まりなのだから、ネットが大衆の意見を代表しているのは当たり前だ」という理論がありまして。
 もちろん、それは一面では真実ではあるのですが、それはあくまでも一個人としての意見を総体した結果に初めて為される結論であって、どちらかに思想が偏ったコミュニティの中にある意見をいくら集めてみたところでその証明にはならないと思うのですよ。
 結局、それは「声が大きい人が勝つ」というだけの話であって、たとえば「あの商品は駄目だ」という意見がネットで主流だからと云って、それは単に声が大きい人がたまたまそういう意見に集中しており、それが連鎖しているに過ぎず、大衆がそう思っているかどうかというのはまったく別問題でしょう。
 特に匿名掲示板において、犯罪もしくは犯罪すれすれの行為を行っている者のブログなどを見つけ、「祭り」と称してその者の居住地などを探り、ネットで騒ぐ行為があります。
 これが、上に書いたような「犯罪もしくは犯罪すれすれの行為を行っている者」であれば、ある程度仕方ないかなと「心情的には」思うところではありますが、しかしだからと云ってそうして住所を突き止め、実際にそこに行って家や本人らしきの写真を撮り、家の周りの人間や本人に「突撃」する行為が正しいかと云えば決してそうではありません。
 さらに云えば、これが本当に本人ならともかく、もし別人だったりしても、その行為に対して誰も謝罪もしません。
 そういうことまで全部ひっくるめて、やってることは、ネットユーザの多くが忌み嫌う「マスゴミ」と変わらないわけですよ。
 さらに、これは何も「犯罪もしくは犯罪すれすれの行為」にとどまりません。単に「生理的に気持ち悪い」とか、そんな理由でも付きまといの行為になります。
 本当に恐ろしいのは、こういった行為はまずいのではないかという意見は黙殺され、あたかも五十年前の戦争のときのように、「正義」という価値観によってそれが完全に正当化されてしまうということです。
 これはね、怖いですよほんとに。
 たぶん、そういうのを「祭り」あげている人々というのは、ネットというのは決して自分に牙をむくことがない「味方」であり、自分はあくまでも正義を貫く側なのだという思いがどこかにあるのだと思いますが、これね、牙をむくんだってほんとに。しかも突然。昨日まで味方だった「ネットの人たち」が、突然集団で襲い掛かってくることってままあるんですって。
 ネットの声が大きい人がパクリだと云ったらパクリ、気持ちが悪いったら気持ちが悪い、みたいなそんな根拠で、しかも尾ひれが付いてそれが絶対正義として広がっていく様子というのはほんとに想像以上に怖いですよコレ。
 しかもそれには一切の反論も擁護も意味を成さず、それすら自己を貶めるだけの結果になり、結局のところ仕方なしに嵐が過ぎるまで只管に口を噤むしかありません。
 無論、それはテレビなどの既存メディアでも同じことではあるわけで、誤った報道で社会的に抹殺されそうになった人というのは、たとえば松本サリン事件に代表されるようにいくらでもあるわけですし、こちらのほうが規模が大きい分だけ厄介であるとも云えます。
 ただ、そういうのに批判的なスタンスでいるはずのネットも、人によっては現状結局やってることは似たようなものになってしまっていることが多々あるのだということはひとつ心に留めておかねばならないのだと思うのですよね。
 いきなり、昨日まで見ていたテレビ局のクルーが家にやってきて、「こいつは犯罪者です」と云う報道が為されるのも、いきなり昨日まで見ていた掲示板で「こいつ気持ち悪い」と云って実名の書き込みが為されるのも、結局のところ本人にとっては同じことなわけです。
 ただし、ネットのほうでは、誹謗中傷によって逮捕された犯人がほとんど「こんな大事になるとは思わなかった」と云うように、本当にカジュアルな気持ちで人を傷つけたりすることが多いのがひとつ問題であると云えますでしょう。
「顔が見えないし責任も負わない」という守られた立場から好き放題発せられたその発言には本来なんの信憑性もありません。ただ「そのコミュニティの声の大きい意見に守られている」だけです。
「既存マスメディアは公権力や利益団体の影響を受けるが、ネットはそれがない。だから信じられるのだ」という妄信も多いですが、確かにひとつひとつの分母が小さい分それは一部事実ではあるものの、そんなことはまったくありません。でなければ、ネット上のマーケティングなど成り立ち得ないものですし、我々が気づかないだけで、確実にユーザを扇動したい意思によって動かされている面はあるのでしょう。
 テレビを信じろとは云いませんが、じゃあテレビを信じるなと声高に喧伝するネットを妄信的に信じるというのも同じくらい危険なことだというのは忘れちゃいかんと思うのですよね。
 無論、現状のテレビをはじめとしたマスメディアの報道体制に問題があるのは事実です。
 世の中を公平に見せるという名の下に流している情報が選別されて色の付いた情報であったりすることはあってはならないことでしょう。それぞれの放送局や新聞社、出版社などのスタンスがはっきりした上での「意見」ならともかくですが、これが「全部真実です。色も混じり気もありません」と云って流されることは、大きな問題であることは間違いありません。
 そういう意味ではテレビを批判し、さらにテレビを批判的に見るという姿勢はあって然るべきだと思います。これは別にテレビだけでなく、新聞や雑誌、本、ラジオなどすべての既存メディアに当てはまることですが。
 が、それならば、それと同じくらいネットを批判し、ネットを批判的に見るようにしないと、結局のところ「テレビの云うことはなんでも信じる」という人と変わりません。
 テレビが何かヤラセ行為などの情報操作や事実誤認・歪曲報道があって、それが発覚した場合、すぐにそれはニュースとして広まり、「やっぱりテレビは駄目だな」という認識が生まれるわけですけど、ネットでそういうことがあってもそれはニュースにもなりません。
 だからこそ、「テレビは嘘だらけ。ネットは真実が多い」という信仰になるのでしょう。
 あたしは、大衆が大衆に向けて直接情報を発信できるメディアとしてのネットというものは凄いと思いますし、あたしのこんな文章がとりあえずあたし以外の人間に読んでもらえるのもネットのおかげではありますから、そこにはある程度の真実は隠れているのだと思います。
 上にもあった、既存メディアでは拾い上げられることのない大衆の本音がある程度集まっているというのも事実ではありますでしょう。既存メディアがなかなか云えない、(いろんな意味で)大きな組織に対してある程度まで自由に発言ができるというのも、これはこれで社会的に有意義なことであるとは思います。
 ただ、そういう、ネットで声が大きい意見を疑ってみるというのも大事なのかなという気はするのですね。そうでなければ、「テレビの云うことは全部嘘。教祖様の云うことのみが正しい」と云いはる宗教の人とあまり大差なくなってしまいます。
 もちろん、疑ってみた上でやはりそれが正しいと思うと云うのならそれを信じるのはまったくもって問題ありません。逆に、テレビの云っていることを疑い、考えた上で信じるのであれば、これもまったくもって問題ないことです。
 思想に正解なんてありませんからね、どんなにとんでもない思想だろうが、自分が選んで信じることにした情報ならばそれはそれで自分なりに価値があるものでしょう。まあ、今の日本はもう駄目だからテロですべてを破壊するしかないみたいな、他人に迷惑がかかる社会的に困ってしまう思想はちょっとアレですが。
 ただ、人間というのは自分の信じた宗教を否定するのが難しいように、一度信じた情報を「これは嘘だ」と切り捨てるのは非常に難しいものです。ある意味でこれは、だからこそ根が深い問題なのでしょうけれどもね。それをしろと云われてもなかなか難しい。テレビにせよネットにせよ、自分の思想や意見に都合のいい情報は信じて、都合の悪い情報は無意識のうちに切り捨ててしまうのは、ある程度あたしも例外ではありませんから。
 ただ、少なくともそれを意識しておくだけで、だいぶ物事の見方というのは変わってくるんじゃないかな、という気はするのです。
 あいかわらずギャグのひとつもないなコレ。ていうかこんなこと前にも書いた気がするけどもまあいいじゃないかそんなことは。ネタがなくなるとこういうこと書くしかなくなるんだ! 誰に向かってキレてるんだあたしは。

<近況報告>
  • > 妄想の中の人にまで変な人と思われてるのですか
     もうなんてかすんごい褒め言葉じゃないですか変な人。いやもちろん心の奥底からの変な人じゃないんですよ? へんな人だなあ、みたいなそんなようなあれ。もう自分でも何云ってるのかさっぱりわかりませんけど。
    > 話は変わりますが、妄想キャラって三次元に分類していいのでしょうか?
     あー、考えたことなかった。普段頭の中で想像してるときってどっちで想像してるのかなあ。なんか2.5次元くらいで動いてる気がするのさ。時空を超越した存在と云うことで、超ひも理論のひとつ上の十二次元くらいに分類しておくのがよいのではないでしょうか。
    > ……海って……緑色です。……えぇ、そりゃもう……。そんな島っ子の意見
     島は夢ですねえ。夢がありますねえ。まあそのなんでしょう、でも赤潮とかで赤いよりは。あと冬のちょっと寒々しい感じの海もいいですよね。
    > みょうに色っぽいね
     僕は僕で酔っちまってね。
    > トンデモゲーム発信基地とかは論文いけるよ
     いや論文とかもっとも遠いところにありませんかあれは。もうなんか自分で書いたものの方向性がわからなくなってきたよ!
    > 元祖引きこもりって天照大神ですよね?
     あれは引きこもりなんでしょうか。立てこもりに近いような気もしますが。まあこれ面白かろうと引きずりだしてくるあたりは確かにそんな感じはします。
    > ごめんなさい。戸棚にあった饅頭は私が食べました
     どうして磯野家をはじめとした日本の古式ゆかしい家庭は、饅頭を単品で戸棚というわかりやすい場所に隠した上、それをほかの人に食べられないという確信を持っているのかがものすごく不思議です。
    > 夏ですが、寒いです。…………。……ふところと、心――を通り越して魂が
     あたしも似たようなものです。もうね、ぴーぴー鳴ってるもの。長渕の歌かと思うくらい。
    > 6年振りに彼女が出来ましたが、いつもの様にプラトニックラブで終わりそうな気が…
     そうか6年ぶりかあ。いやもう素晴らしいことじゃないですか。ラブがあるんですねラブが。当方の32年越しの悲願が達成されるのはいつなのでしょうかね。
    > 『ハッシャ・バイ』が再演されるそうですよ。
     ほんとだ。ちょっと行きたい気がするなあ。あの人の作品はある程度の年齢になって見返すと、こういうことだったのか!って突然意味わかったりするからなあ。
    > 風呂のパイプ修理で35万かかったよあははははははははは\(^O^)/
     すげえ! そんなにかかるのかパイプ修理! まあめったに壊れない場所だからこそなのかもしれませんが。なんか直ってもあんまり嬉しくないところがアレですね。
    > マダムまた戻ってきたんですね!
     なんか今度はキューバに飛んでゲバラばりに革命してみようかと思ってるらしいですよ。


  • 戻る