04/11「缶蹴り論」

 ということで、最近の子どもたちは外で遊ばない、というようなことが云われていて、確かにあたしが現役で子どもだった頃に比べて、道を歩いていても集団で自転車をかっとばしてる子どもとかに会うことが減ったなあという気はするんですよね。
 よく云われているように、テレビゲームとかの影響も確かにないとは云いませんが、あたしが小学生の頃にも初代のゲームボーイがすでにありましたけども、その頃は外に持ち出して外でみんなでゲームボーイなんて普通にありましたし、そういうことばかりではないと思うんですよね。
 なにより、おそらく遊ぶ場所がないというのは大きくて、あたしが住んでたのが割と田舎だったこともあるのですが、大きな空き地とか刈り入れが終わった後の田んぼとか手付かずの森とか、いろいろあったんですよ。そこも今ではすっかり住宅地になってしまいましたが。
 その代わり、トレードオフとしてあちこちに遊具が完備され、しゃれた感じの公園ができましたが、こういうタイプの公園というのは、実は割と遊び方を固定する側面があるのではないかと思うのです。
 なにもない空き地や田んぼというのは、なにもないだけになんでもできるということでして、想像力次第でそこは後楽園球場にも国立競技場にも鈴鹿サーキットにもなります。
 反面、住宅地の中にある公園というのはそのほとんどがそれほど広いわけでもありませんし、たとえばブランコはブランコとしてしか遊べないのですから、どうしても想像力を使う幅というのは制限されてしまうわけです。むしろ公園というのは子どものために作られているのではなく、近隣の大人がくつろぐために作られているのではないかというきらいさえあります。
 事実、公園の多くは「ボールを使った遊びは禁止」だったりするわけですが、子どもにとってボールというのはひとつあればそれこそ一日中遊んでいられるくらいのものなわけでして、子どもからボールを取り上げるというのは酷じゃなかろうかと思ったりもします。
 尤も、それは都市化が進んでいくにつれてやむをえないことでもあるわけですから、それを嘆いていても詮無きことではありますし、子どもというのはそんな中でも我々が知らないところで遊びを創造することができる生き物ですから別にいいのですが、どうしても場所がないとできない遊びというのが「缶蹴り」というやつだと思うのですよ。
 あたし以上の世代の方だと割と一般的な遊びだと思うのですが、かくれんぼと違って家の中でやるのが難しいため、今のそういう広場がない場所だとちょっと厳しいでしょう。公園でもできなくはないでしょうが、隠れる場所があまりないというのが問題になってきます。
 この缶蹴りというのは実に無慈悲な遊びで、人数が多くなればなるほど加速度的にオニが不利になる仕組みである上、さらにオニ以外の人が手を組んで襲い掛かってきた瞬間にオニはほぼ瞬殺されるという非常にシビアなゲームです。
 また、その子どもによって露骨に性格の出るゲームでもあり、考えることが面倒くさくなって正面からオニに切り込んでいくというよく云えば豪快、悪く云えばいくらでも悪く云えるタイプもいれば、ものすごい頭を使って服を取り替えたりとかそういう作戦面で攻めるタイプもいて、そういうなんともまとまりのない集団が遊んでいるからこそ面白かったのでしょう。
 そういうあれを通して世の中の無常さや残酷さを心の奥底から知ることになるわけですけども、なぜかあたしのまわりの人々はこの遊びが大好きで、おそらく小学生時代にやったことのある遊びの回数を計算すれば確実にベスト5に入ってくるであろう超メジャースポーツだったのですよ。
 おそらく、遮蔽物のあるそれなりに広い場所は必要になるものの、逆にそれさえあればあとは空き缶ひとつでできる気軽さがよかったのでしょう。また、今考えればむちゃくちゃに無慈悲なシステムではあるものの、子どもというのは根源的にある種の刺激を求めるものですし、それくらい過酷なほうがよいのかもしれません。
 缶蹴りは、上述したように隠れるほうよりもむしろオニのほうが比較にならないくらい過酷なゲームです。
 隠れるほうは隠れてチャンスを伺っていればいいわけですが、かくれんぼと違いオニは缶からあまり離れるわけにはいきませんから、探しに行くにしても限界があります。どう考えてもイニシアチブは隠れているほうが握っているわけで、オニが有利になる材料がひとつもありません。
 ただ、それだからオニがつまらないかというとそんなことはなく、中には何度も缶を蹴られて泣き出す子どもとかもいましたがそういうことはきわめて稀で、オニはその緊張感が故に面白い、みたいなところもあったわけです。
 あたしの中に印象としてものすごく鮮明に残っているのは、オニになって、誰かが蹴っ飛ばした缶を拾ってきて目を伏せて数を数え終わったあと、立ち上がって目を開けると、そこにはあれだけ賑々しく騒いでいた友達が誰もおらず、静寂だけがあたりを支配している光景でした。
 なんだか、あたしが目を伏せているこの短い間に世界が終わってしまって友達がこの世界からいなくなり、一人だけぽつんとそこに取り残されたような感覚の、子どもながらに不気味さとか不安とか、そしてその中のどこかにある神々しさのようなものを感じていたのです。
 これはちょうど、夏に学校のプールで「休憩だからいったん上がれ」と先生に云われ、そのときたまたまプールのど真ん中にいたために上がるのが遅れてしまい、誰もいないプールに一人で潜っているときの感覚と似ていました。
 あれだけいた人がひとりもおらず、音も聞こえず、ただ前に永遠のように広がり揺れる青の世界というのはものすごく不思議で、手足が重い感覚はまるで夢の中の世界のようで、本当に世界が終わったんじゃないかと慌てて水から顔を出せば、暢気な顔をして笑っている友達の姿がプールサイドにあって、なんだかものすごく安心したりしたものです。
 缶蹴りのオニになったときのそれもまったく同じで、もちろん理性ではそんなことがあるわけがないことはわかっていましたが、そのなんとも云えない現実離れした感覚が、心のどこかでそういった理性での理解を否定しようとしていたのでしょう。
 なぜかあたしはその感覚が大好きで、オニになるたびに「ああ、またこれだ」と思っていて、そんなことをぼけっと考えている間に徒党を組んで襲ってくる友達連中に缶を蹴っ飛ばされてまたオニになるという悪循環だったわけですが、その友達の姿が見えたことで、ふと世界が滅びた並行世界からもともといた現実世界へ戻される感じもまた大好きでした。
 そういう原体験があるからこそ、今のあたしがこうしてここにいるのだと思います。
 缶を思いっきり蹴っ飛ばされてから20年近くの月日が経った32歳の春、将来を誓い合う彼女ができました。

 というようなそんなような文章を書いたらいいんじゃないかなと思うんですよ彼女ができたら。いやもちろんできてませんよできるわけないじゃないですか。だいたい缶蹴りと彼女なんてこれっぽっちも関係ないだろ。
 いやね、今回はWEB拍手で貰った「高御さんはまじめな文章は書けないんですか」というリクエスト?にお答えする感じだったんですけども。かっこいいかどうかは別にしてとりあえずまじめに書いてみたよ。どうかな?
 いやまあそのなんだ、子どもの頃に缶蹴りのオニになったとき、上で書いたようななんだか世界が終わったみたいだなあという不思議な感覚を覚えていて、それが妙に好きだったのは事実ではあって、でもそんなこと人に云うようなことでもないしなあみたいなことはったわけで、かえすがえすも今考えるとやな小学生だなと思わないではないのですがそれはともかく、最後の彼女云々なんてくだりはまったく必要ないってか意味わからないですからね、こんなのもうただ云ってみたかっただけだもの。なんてかこう、中途半端にほんとのことが入ってるのが余計にたち悪いよね。
 ていうかさ、ちょっと思ったんですけどもね、あたしもそんなそこまで馬鹿じゃないですからね、基本的にこのページってまったくもってこういう青年の主張みたいな文章を求められてないことはわかってるんですよ。
 そりゃまあわざわざパソコン使ってまでこんな32歳童貞のうだつのあがらないサラリーマンの主張なんか読みたかないというのはもうまったくもって当然の話なのでそれに関してはグウの音も出ませんってなもんだけどもさ、じゃあそれだけわかっててなんでこういうわかりにくいネタを書くかなってなもんですよね基本的にはね。
 なんかこうアレです、最初の数行を読んだところで疲れてもう結構、みたいな話になって、ブラウザのバックボタンを押してる人とかいっぱいいると思うんですよ。そうなるともうなにをやってんだかって話ですよこんなものは。
 でもこんなんでも書いてるうちに、久しぶりに缶蹴りがやってみたくなるから不思議ですね。ですね、って云われても困るでしょうけども。


<近況報告>
  • 『けいおん!』は、原作が割と嫌いじゃないのでアニメを見始めたんですが、意外と悪くないかもしれない。唯とかもうちょっとヤバいんじゃないかなあってくらい頭の弱い子になってますけども。
  • アニメでもあの原作のなんにも起きない感じはよく出てていいんではないかと思います。若干作画方面で不安にならないではないですが。
  • ていうか、オープニングの『Cagayake! Girls』が名曲だと思うんですよ。なんかこう、90年代のガールズポップっぽくて、そのくらいの時期に青春ど真ん中の生活をしていたあたしみたいなのにはこういう曲調が妙に懐かしいんですよね。渡瀬マキのオールナイトニッポンとか思い出したもの。渡瀬マキて。
  • しかしさ、なんか最近の4コマとかライトノベルとかってのは、4文字(+「!」)ばっかりなのはなんかこうそうしなきゃいけない法律とかそういうのでもあるのか。
  • じゃああたしがヒットしそうな、4文字の4コマとライトノベルのタイトルを考えようじゃないか。『ほどがや!』『ばいにん!』『もょもと!』『鷲津様!』『げんぱつ!』『みなみけ!』『そまりあ!』さあお好きなのをお使いください。今回は特別に権利の料金とか要りません。
  • でもそれよりなにより楽しみにしていたのが『咲 -Saki-』ですかね。もうね、ここにも何度か書いてますけども、原作がほんと大好きなんですよ。5巻の池田さんとか可愛すぎて生きてるのがつらい。
  • で、アニメ。結構いいんでないかな。なまじ原作が好きなだけにいろいろとちょっと心配してたとこはあったんですが、割とそういう心配は要らなさそう。なんだ普通に面白いじゃんってのが拍子抜けでもあり驚きでもあり安心でもあり。
  • それにしてもだ、釘宮理恵さんの演技にはもうほんと驚かされることばっかりだ! なんだあの可愛すぎる優希は! まったくけしからん! タコスとか死ぬほど食わせてやるから嫁に来い!
  • > 昔MSXにべっとり浸かってました。そういやキー打って文字がでるってだけで楽しかったっす。
     あたしも東芝Rupoで同じようなことを思っておりました。しかもちゃんとしたフォントで印刷できるとかマジスゲエ!とか思って無駄に印刷してた。今考えるとむちゃくちゃ無駄なことしてるよ!
    > カジュアル悪意って言いえて妙
     でも今の、特にネット犯罪とか犯罪予告とかってほんとにそういう程度の気持ちで犯してるんじゃないかなあって思うところは多々ありますよねホントに。自分が悪いことをしているのだという気持ちがないぶん余計に怖いなあと思うのですよ。顔は見えないけど、回線の向こうには人がいるんだということは忘れちゃいかんと思うのですよね。
    > レビューありがとうございます。
     いやそんなお礼を云っていただくほどのことでは。でもなんでしょう、今回の文章を書いてみて思ったんですが、一年近くも書かないでいるとものすごい時間かかりますね。感覚は染み付いてたのでなんとかなったんですが文章をまとめるのがもう時間がかかることかかること。
    > seagateについて一言。いや、わかってて言ってるんですが(笑)
     今すぐ校正を見る仕事に戻るんだ!
    > マダムが仕事しすぎてびっくりwうれしいけど
     マダムはあれですね、イスラエルから帰ってきてから急にやる気になっちゃって。若いってのはそういうパワーに満ちているのですね。なんせまだ14歳ですしね。若すぎるな! ていうかマダムじゃないなそれ!
    > 確かにカンパネラは、キャラクタの魅力が肝だと思いました
     基本的にその一点突破ですよね。そういう視点で見るとこんな素晴らしい作品はなかなかないと思うんですよ。ミネットとかちょうかわいかったですもの。ミネットのエンディング曲『*twinkle*twinkle*』の歌いだしの1コーラス目最後、「もうすぐだね」の「ね」の部分の歌い方がすごいかわいいです。いや騙されたと思って聴いてみてくださいって。
    > 相変わらずレビューが理屈っぽいですね
     判断に困るところですが少なくとも褒められてはいないですよね? いやまあそのなんだ、そうかもしれませんけどもー。なんかあたしがすごい理屈バカみたいじゃないかあ。だいたいあってますけども。
    > たかみせんせー、童貞すてちゃいました
     !?


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