11/06「古典論」

 ということで、11月1日は「古典の日」だったそうです。もうすごい過ぎてますけど。まあいいじゃないか一週間くらいの遅れて話題にしてるくらいだったらまだ早いほうだっていやマジで。ひどいときには正月に夏祭りの話題書いたりとか平気でしてたんだから。
 まあそれはともかくそういうあれで、いきなりなんで11月1日なんだと思うところではありますが、どうやら源氏物語が読まれていたのが少なくとも11月1日が今のところ一番古い記録だからということだそうで相当に無理があると思うんですがまあそれはよいです。
 そんなことよりも、じゃあ古典の日には具体的に何をするんだということのほうが重要なわけでして、よくわかんないけどもこの日にカップルが「あなたが鴨長明っぽいからこの方丈記をプレゼントしてあげる」みたいなそういうあれじゃないわけじゃないですか。自分で云っててよくわかりませんけども。
 なんかほら、バレンタインデーを横目に羨ましかった出版業界が仕掛けた本を贈ろうみたいな日あったじゃないですか、あれみたいにどうせ形骸化するんじゃないのか。誰かいるのかあの日に本贈ってる奴。
 と思うわけなんですけども、やっぱり多くの人にとって古典ってなじみがないというか、むしろ理系の数学と並んで嫌われる教科の代表格みたいなところあるじゃないですか。
 そういう意味では、古典を意識するという意味で一つの区切りを作るというのは決して悪いことではないとは思うんですが、問題はあれなんですよ、古典という教科があいも変わらずつまらないものとして認識され続けるということなんですよ。
 まあね、なかなか学生時代なんて古いものになんて目がいきませんし、行ったとしても戦国時代とかそういうちょっと派手さがあるものですからね、歌で告白したりみたいなそんな暢気な時代のことなんかどうだっていいわけですよ。
 なんてかな、基本的にあれだと思うんですよ、教え方が悪いんだと思うんですよ。
 だってあれじゃないですか、学校の古典の時間なんて、基本的にやれ文法がなんだのとかそこからじゃないですか。そんなの覚えさせられて面白いわけがない。
 かと云って、じゃあ訳文を読ませればいいかと云うと、これが『枕草子』だったりして、いやもちろん『枕草子』は優れた文章だとは思いますが、やっぱり古典にはじめて触れる人にとって、春は朝焼けの風景がいいなあ、なんてのは、どうでもいいことだと思うわけです。
 物語にしても、いきなり途中から読ませたりしてそんなものが面白いわけもなく、それに加えてやれけむだのめりだの文法やら単語やらばかりを覚えさせられ、「次の文章を現代語訳せよ」とか、もっと酷いのになると「次の和歌を解釈せよ」みたいな、古典なのに何の趣もない試験に嫌気がさしてしまうわけです。
 もっとあれですよ、どうせ中学生とかなんですから、もっとわかりやすく面白い物語とか読ませたほうがいいと思うんですよ。あるいはエロ要素てんこ盛りとか。『蜻蛉日記』とか、『古事記』とかもいいよね。
 『枕草子』を読ませるにしても、まずはとりあえず橋本治の『桃尻誤訳枕草子』あたりを読ませて、実際のところこんな簡単なこと云ってるんですよってとこからはじめればだいぶ違うと思うのです。
 なんてかな、そういうあれでもしないと、結局ただ古典ってめんどくせえ、というそれだけで終わってしまって、これはこれで非常にもったいないものだと思うんですよ。
 実際のところ、古典はつまらない、という意識というのは、この中学生あたりに受ける、文法と単語を優先させる授業の影響だと思うんですよ。
 これはちょうど、映画は面白いけど演劇は難しくてつまらないもの、という認識とよく似ていて、これというのも、演劇というのは小学校の頃に無理やり体育館とかで見せられた「教育的」な劇による結果だと思うのです。あれで結局演劇ってなんだか小難しくてつまんねえじゃん、ということになってしまうわけですよ。たぶんクラシック音楽とかも同じだな。
 授業に組み込まれるものはエンターティメントにならない、と大雑把に云ってしまえるかもしれませんが、これは本当に紙一重で、「つまらないものはつまらないんだから、授業と云うつまらないものの一環に組み込む」という概念があって、それがある種、本来エンターティメントたりうるものがエンターティメントとして消化されなくなってしまうという悲劇を生んでいるのではないかと思うのですよ。
 古典に限らず、単純に「読書」なんかもそうで、「本を読むことは偉くて難しい行為なんだ」という小学生時代からの植え付けと、その後の「読書感想文を原稿用紙何枚以上で」という変な「義務」によって、「読書」はエンターティメントから「何か難しいもの」に変化してしまったわけです。
 古典もそのひとつで、『源氏物語』なんか特にそうですが、昔の人が今で云うところのライトノベル感覚で読んでたものだと思うんですよね。それがまあ、歴史的・文化的な意義を持ち始めて研究対象になり、それを「授業」にしたときに、なんでこんなにつまんないものになってしまうのかなあ、というのはかねてからずっと疑問ではあったのです。
 以前も書きましたが、中学生の頃にNHKでやっていた『まんがで読む古典』という番組は、そういった「古典」というものを、「わかりやすく」だけではなく「面白く」見せるというすばらしい番組でして、それでいながらちゃんと歴史的背景なんかも説明してくれていて、こういう「授業」はできないものかなあとずっと思っていたものです。
 なんというか、学校の教室には「難しいものは難しくてつまらなくて当然」みたいな空気があって、それがひとつの問題だと思うんですよね。特に美術とか音楽とかに多いとは思うんですが、難しいものをおもしろく見せる方法だっていくらでもあると思うんですが、そういうのはきっと受験には役に立たない、と云って切り捨てられるんだろうな。困ったもんだ。
 ……という、ネタのひとつもない文章どうよたまには。もう誰も読んでないそうかそうか。

<近況報告>
  • なんかカラオケに行きたいので誰か行きませんか。いや今急に思ったんですけど。
  • 今週土曜日(8日)の13時半、都営新宿線一之江駅環七口にある、地図が付いた変な風力計みたいなのの前に集合だ。参加表明とかは要りませんので。適当だし。
  • なぜそんなところかって云うとだな、本格的なオフ会とか企画して新宿とか秋葉原とかでやるだろ、それでもたぶん誰も来ないだろ、ただ寂しいだけじゃないかそんなものは。
  • なにするかと云うとだな、ただ駅近くのシダックスに行って、酒も入らないまま真昼間から二時間ほどカラオケに行って解散という冗談のようなイベントです。さだまさしとか中途半端なアニメソングとかなら。なにglobeしか歌えない?来んな!っていうかこんなページ見てないでもっと立派な人が見るページを見てくださいそういう人は。
  • 俺はマジだ。マジだけどたぶん誰も来ないだろうから一人で行く。行きたいだけじゃないか。
  • > 当方男31才さだまさし好き彼女いない歴は年齢当然童貞4649!/そんなわけで、そこらじゅうにいると思うんですよ実は。そう思わなきゃやってられっかよぉ…
     あれだよね、隠してるけど結構いるよね絶対。だってあれだもの、世の中の人口バランス的には男が絶対何百万人かあぶれる計算なんだもの。
    > 私も過去ログあげて欲しいですに一票。ゆきねえですか。ビデオ見なおしてみます。
     たぶんこのままだとゆきねえの回もあるんじゃないかなあ。でもそんなことやっててちゃんと尺に収まるのかなあ。
    > 八○子自動車教習所つぶれたとか。いやびっくりです。
    > 日野市自動車教習所閉鎖にびっくり!/冬コミがんばってください。
     ホントですね。まあ、教官の質とか腐ってたんでいつつぶれてもおかしくないってか、むしろ潰れて欲しい感じではありましたが。あの頃の恨みは10年経っても忘れられねえ。
    > 冬コミ当選おめでとうございます!私も売り子の手伝いの休憩中に是非お会いしたいです!
    > コミケ当選おめでとうございます
     ありがとうございます。割と忙しくて新刊が出せるかどうか不安なところですが(じゃあカラオケなんか行ってるなって話ですが)、遊びに来ていただければこの上なく幸いです。西だからなかなか行きづらいですが。
    > 私の前で平気でパンツ見せる女友達がいて、目のやり場に困ります…どう指摘していいやら(‐゛‐;)
     それってご褒美じゃね? っていうか誘惑じゃね?
    > 『億千万』以外でも懐古モノありましたよ。ジブリアニメの『猫の恩返し』のカップリング、『ギブリーズ/episode2』なるものです。同僚の女性社員から『初恋はいつでしたか?』/の質問で、子供時代好きだった娘とフォークダンスした甘酸っぱい記憶が蘇る話です。長文失礼致しました。
     なんかこうたぶんあたしくらいの世代が作ってるんだろうなあそういうの。しかしフォークダンスって想像の中の産物じゃなく実際にあるのか。
    > 渡辺君が童貞喪失した事に衝撃を受けたんですが。
     まああれですよ、伊集院さんもみうらじゅんも「童貞の味方」みたいな顔してちゃんと結婚してるし若くして童貞捨ててるしそういうことですよ。世の中冷てえなあ。


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