09/23「遠野論」

 ということで、今頃になって夏休みが取れたぞーということで、平日に休みが取れたら黙って座っていられない性格が疼きだし、そのまま岩手県は遠野市へ行ってきました。ああいつものことながら日帰りです。慌しいな!
 普段、伊勢や奈良、京都あたりの関西圏は日帰り旅行もちょくちょく行っており、ここに書いたりしてる以外にも結構こっそり日帰りで行ったりしてるんですが、いえ別にこっそりっても何か実は京都の神社の巫女さんといい仲になっててこっそり逢引をしているからここに書けないのだとかそういうことではなく、むしろそういうことがあったらこれでもかとばかりに書き連ねるだろうことは容易に想像できるわけでして、ただ単に別に神社とか旧跡とかいつもほとんど同じところしか見てこないので、あまり書くこともなかろうとそういう理由から書いていないだけなのですね。長いな一文が。
 反面、高速道路での所要時間はだいたい同じくらいなのにも関わらず、北の方……つまり東北方面や上越・北陸方面にはあまり行っておらず、特におなじみの土曜日日帰りの旅行で行ったことが一度もありません。別になにか理由があったわけではないんですが。
 そんなわけで遠野です。
 実は遠野は、もう何年も前に前の会社にいた頃はじめて連続で休みが取れ、嬉しくなって一泊二日で行き、釜石から田沢湖まで走り回った記憶がありますが、非常にいいところだったという印象が強く、もう一度行ってみたいなあという気持ちは非常に強かったのですね。
 遠野という場所は、知っている人には今更ですが、一言で云えば「民話と伝説の里」です。
 柳田国男の『遠野物語』が非常に有名ですが、昔話や民話などが数多く伝えられており、それがその土地と密接に結びついて残されているのですね。
 そういった雰囲気が好きな人にはこの上なく楽しめる場所でして、云うまでもなくあたしもそういうの大好きっ子ですし、『遠野物語』も大好きで何度も読み返してますから、一度行きたいと思ったらもう行くしかないと強い決意のもとにいたわけでした。
 で、行ったのは金曜日だったんですが、なんせこの頃ちょうど台風来るんじゃないかなあなんて日本が大騒ぎになっていた頃でして、やっぱりあれですよ、旅行に行けば雨を呼び寄せるという日本の古き良き伝統に則って云うところの嵐を呼ぶ男伝説はまだ途切れていないのだなあと思わずにはいられないのですがそれはともかく、この台風は非常に進行速度がゆっくりで、金曜日の時点で九州のあたりにおり、その影響で雨が降っても関東地方くらいまで、関東地方に本格的に雨が降り出すのは金曜日の夜からだろう、とのこと。これはいける!ということで思い切って見切り発車してみることにしました。
 いちおう、東北道の起点である川口ICから目標の釜石道東和ICまでは5時間くらいかかるということだったので、休憩を入れることとそこから一般道を走ることを鑑みて深夜一時くらいに出るつもりでいたのですが、ふと気づけば『ひだまりスケッチ×365』を見て満足してから出るというなんというかな、いきなり計画が破綻しているわけなんですが、そんなこんなで予定より一時間遅れで出発しました。
 首都高を抜け、ひたすら東北道を北上。さすがに平日の夜と云うこともあって交通量は少ないです。
 伊勢方面に行くときは東名高速を使うことが多いんですが、東名は特に平日の夜はトラックだらけでうっとおしかったりするもののそれもあまりなく非常に走りやすい環境。
 福島を過ぎ、そろそろ宮城が見えてくるかなあ、と云ったところで白々と夜が明けはじめました。途中、明らかに居眠り運転の車にぶつけられそうになったりはしましたが、基本的には順調です。トイレで一、二度寄った以外にはPAにもSAにも寄ることもなく。
 先日、出雲に日帰りで行ったときの教訓として、「寝ないと辛い」というのがありましたので、釜石道に入る直前、北上金ヶ崎PAに車を停めて一時間ほど仮眠、釜石道東和ICから一般道で遠野方面へ向かいます。
 数年前に、北上江釣子ICから走ったときは結構走ったような気もしたのですが、当時まだ無かったこの釜石道のおかげで比較的早く遠野市内に入ることができました。
 ちなみに天気は快晴。東北らしく「ちょっと涼しい」感じで、車のエアコンを切ってサンルーフと窓全開で走ってて日に焼けたりしておりました。珍しいこともあるもんだ。
 最初に訪れたのは「巖龍神社」。
 ここを一番最初にしたのは、高速道路から遠野方面に向かうと一番最初にここが来るから、という理由だったんですけども、数年前に来たときは車が停められなくて立ち寄れなかったので、是非とも行きたいと思っていた場所でした。
 実際に近くで見てみると凄いです。「巖龍」の名前が示すとおり、まさに龍のような大きな岩。岩と云うよりも削られた山肌に近い感じもしますが。もちろんこれがご神体なのですが、もともとはお寺だったそうで、それが明治の神仏混交禁止令により御祭神がヤマトタケルに変わったのだとか。
 この神社や近くの川では、地元の中学生?が写生の授業に勤しんでいたりして、なかなかにのんびりした光景が繰り広げられておりました。
 その次が「愛宕神社」。
 ここは前回も来た場所で、全国にある防火のご利益がある「愛宕神社」と基本的には同じ系列なのですが、『遠野物語』では、ここの神様が火事を消すために和尚の姿になって現れたという話が伝わっており、やはりそのあたりで伝承と絡んできます。
 ここも雰囲気のいい場所なのですが、駐車場で車を降りてから急峻な階段を上る必要があり、それがほとんど寝てない体には堪えるのでした。ま、後のことを考えれば、こんなのはほんの挨拶代わりだったわけですが。
 神社そのものも非常にいい雰囲気なんですが、ここから見える景色もまた絶景なので、上ってきた甲斐があるというものでしょう。
 で、そのすぐ横にあるのが「卯子酉様」。「うねどりさま」と読むのですが、これも『遠野物語』で話が語られており、要するに縁結びのご利益があるとのこと。ここで100円で赤い布を売っており(云うまでもなく無人販売ですが)、それをここに結び付けておくと良縁に恵まれるとのこと。それでこんな布だらけになっているのですね。
 あたしもそろそろ良縁の一つもあってほしい年頃ではありますので、思い切り結び付けさせていただきました。今行くとどこかにあたしの名前入りの布があるよ!
 この近くに「五百羅漢」という前回行かなかった場所があるらしいというのは地図にもあるのですが、歩いても行けるけど歩くと300メートルほどだとのこと。直線距離ならたいしたことはないのですが、またこれも山登りなのでちょっと遠慮したく、車で2キロほど大回りをして行くことにしました。
 で、「五百羅漢」。
 今でこそ東北地方というのは穀倉地帯として知られていますが、それこそ近代までは飢饉も非常に多く、この遠野地方でも多くの人が犠牲になりました。
 その飢饉で亡くなった人の供養のために彫られたのがこの羅漢像で、とにかく行ってみて圧巻なのは、そこらじゅうの岩という岩に羅漢像が彫ってあります。ちょっと見づらいかもしれませんが、この石一つ一つに羅漢像が彫ってあるんですよ。これは結構インパクトありますよ。まわりに人が誰もいないのも手伝ってちょっと不気味ささえ漂います。
 ここもちょっと山登りだったんですが、その後ここから700メートルの位置にあるという「コンセイサマ」に行くかどうかでちょっと迷いました。なんせ700メートルですからね、これも平らな道なら別にいいんですけど、見るからにちょっと上り坂です。
 ただまあ、ここまで来て行かないってのもなんか損した気分になるし、たまには運動もするかってなことで歩くことにしました。
 いやー、これが凄いことになった。遠いな700メートル。しかも最後の200メートルなんか完全な山登りでゼエゼエ云いながら上ってましたさ。だから寝てない体にはきついってこんなものは。
 で、その先に何があるかと云うと、これが実は子宝祈願の神社でして、ちんこの形の石があったりするわけでして、子宝の前にいろいろあるだろと疲れてる体に鞭打って自ら突っ込んでみたりするのでした。ほんと疲れた。
 このあたりはだいたい同じようなエリアにあるので、これを終えたところでいよいよ遠野の中心部に近いところになります。
 途中、道の駅で買い物をしたり、この時点で11時過ぎだったので軽く何か腹に入れようと思って買った「焼き饅頭」が思ったより美味しかったりした発見などもありつつ、次に向かったのは「カッパ淵」。
 『遠野物語』でもカッパの話はよく出てきて、最近では東スポあたりが遠野でカッパが見つかったなんていう馬鹿ニュースを流したりしていましたが、そんなカッパが住んでいた(住んでいる)とされるのがこのカッパ淵です。
 非常に流れの穏やかな川ではありますが、田んぼに囲まれた静かな流れを見ていると、そんな話があってもいいかもなあ、などと思わされます。
 その「カッパ淵」のすぐそばにあるのが「伝承園」。
 こんなことを云うのもアレですが、ここ自体には特になにかあるというわけではなく、いわゆる見世物系の施設ですから入場料もかかりますし(310円ですが)、それならなんでそんなところへ行くのかと云えば、「オシラサマ」を見るためです。
 『遠野物語』では、ある少女が馬と恋に落ち、それを知って腹を立てた少女の両親が馬の首を切り落としてしまった。少女が悲しみ首のない馬に縋ると、馬はそのまま少女を乗せて天に飛んで行ってしまった……という話が伝えられています。
 この話に基づいくのがこの「オシラサマ」という信仰で、ほかにも「オクナイサマ」「オコナイサマ」など色々な呼び名があるのですが、いずれにしてもこのオシラサマという神様は、願い事を叶えてくれる半面、そう云う謂れを持つが故に祟りも凄いという話もあり、やっぱりこういう話が好きな向きにはたまらないわけです。
 で、そのオシラサマが千体近く飾ってある「オシラ堂」というのがこの伝承園にはあり、前回来た時にはそれを見てこりゃすげえと圧倒されたという記憶があり、遠野に来たからには行くしかないと思って立ち寄ったんですが、やっぱりすごいですここは。なんだかもう見るものを圧倒する何かがあります。遠野に行くことがあれば是非。
 ここでしばらく過ごし、地元産の米(家の近くのスーパーで買うよりも安かったので)なんかを買いつつ、次に向かったのが「早池峰神社(はやちねじんじゃ)」でした。
 この「早池峰神社」、前に来たときにすごく雰囲気がよかったので、また行くことがあればもう一回行きたいなあというのがあったのですね。
 ところがカーナビにセットしようとするもなかなか見つからず、道の駅で貰ってきた地図と照らし合わせながらようやく発見。その場所から60キロ近く離れてるという表示が出て、そんなに離れてたかなあ、と思うもそう云うのだから仕方がありません。
 まあ、60キロと云っても、信号も車の通りものほとんどない山道なのでそんなに時間がかかるわけではないのですが、それでも一時間以上かけて「早池峰神社」に辿り着きました。
 辿り着いたはいいんですが、どうもなんか数年前に来たときと感じが違う気がするんですよ。
 いえね、もちろん数年前ですから、いろいろ記憶も曖昧でしょうし、何年も経てばいろいろと変わる部分もあるんでしょうが、しかしそれにしても変わりすぎてる気がするなあと。有体に云えばずいぶん立派になったなあとそういうことなわけですが。
 そうか数年という時間は神社もこんなに変えるのかと思ったんですが、しかしそれにしてもなんだか納得できんなあと思ってまた地図をよく見てみたら、どうやら「早池峰神社」はこの付近に二つあるらしく、今いるこの早池峰神社は、前に来たのとはまた別の早池峰神社だということが判明しました。
 確かにそちらの早池峰神社ならさっきの場所からも20キロくらいしか離れてないしなんとなく納得はできるというものです。
 というわけで、もうここまで来たらと60キロの道のりを戻り、昔に行ったほうの「早池峰神社」にも行くことにしました。当然ですがこちらはまったく変わっておらず安心しましたがえらい疲れました。同じ名前の神社が二つあるなんてどこにも書いてなかったじゃないか。
 ここから次に向かったのが「デンデラ野」です。
 早池峰神社二つの移動でかなり時間を取ってしまったので、これが最後になるだろうことは想像できたのですが、この「デンデラ野」も前回行ってもう一度行きたかった場所なんですよね。
 駐車場に車を停めてちょっと歩くのですが、この「デンデラ野」というのは、名前は「デーンと平らな野原」から引用しましたという、なんだそりゃってなもんなんで、実際にただの野原なんですけども、実は昔はいわゆる「姥捨て山」だったそうで、働けなくなった老人たちをここに捨てたという伝承があるのだそうです。
 実際、近くの橋にはこんな絵があったり、野原のすぐ横には「あがりの家」という昔の老人たちが最後に住んだとされる家が復元されていたり、物悲しさが漂います。
 ちょっと日が傾きかけていた時間帯なこともあってその物悲しさはさらに増幅されていておりましたが、ここから見える景色もなかなか圧巻です。
 デンデラ野でしばらく佇んでから、そのすぐ側にある「ダンノハナ」へ。ここもしばらく歩くんですが、午前中の山登りに比べればもうこんなのなんでもないですね。「ダンノハナ」は前回行かなかったのでどんなところなんだろうとか思っていたのですが、行ってみればただの丘でして、『遠野物語』と関係の深い佐々木喜善の墓があるほか、死者の回向の地として知られていたり、或いは昔の処刑場跡だったりといろいろな説があるそうなんですが、いずれにしてもなかなかに不気味な場所です。
 いちおうこれで一通り見終わり、帰りにまたちょっと誰もいないデンデラ野で佇んだりしつつ(さっき来たときはほかに観光客がいたので)家路に向かいました。
 帰りはちょっと時間もあったので、東和インターから高速道路に乗るのではなく、前回来たときと同様に直截東北道の北上江釣子ICから乗ってみることに。それも普通に帰るだけでは面白くないので、郡山から磐越道に出て常磐道を経由するという、「ちょっとだけ遠回り」で帰ってみることにしました。ってもまあ20キロ程度しか変わらないんですけど。
 中尊寺のパーキングエリアでまた一時間半ほど仮眠を取ってから南下。途中までは晴れていたんですけど、磐越道の途中あたりでポツポツと雨が降り出し、常磐道に入る頃にはまさに土砂降りという感じの降り方に。
 まあ、ちょうど車についた虫とかの汚れを洗い落としてくれるので都合がいいと云えばいいのかもしれませんが。
 結局家に帰り着いたのは1時半。休憩挟んで7時間程度なのでやっぱりだいたい伊勢とか京都あたりと同じくらいですね。一般道を走る距離が長いのですが、田舎道なのでストレスはありません。おかげで燃費も伸びまくり、往復のおよそ1400キロでリッター当たり14キロ走ってくれました。
 最後に、遠野に行くなら、柳田国男の『遠野物語』は事前に読んでいくことをお勧めします。
 もちろん他の場所、たとえば出雲へ行く前に『古事記』のオオクニヌシのくだりは読んでおいたほうがいいとかあるんですが、ことこの遠野という土地は、『遠野物語』の事前知識があるのと無いのとでは楽しみがぜんぜん違ってきます。
 まあ、それぞれの名所史跡で『遠野物語』の一部が引用されたりはしているんですが、それよりも「ここがあそこで語られていた場所か」と思いつつ、『遠野物語』に思いを馳せつつ、というのが遠野巡りの一番の楽しみ方でしょう。
 いつもここに書いてあるような神社巡りに伴う神話というのは、どうしても「神話」という都合上自分との感覚が遠くなりがちですけども、『遠野物語』の場合は歴史が近いのとその場所がそのまま残っているのとで、誰にでもわかりやすく物語の世界を感じられる土地なのではないかと思います。
 ……なんか珍しくすごい真面目な締めになったな。

<近況報告>
> うちにも新品未開封ありました・・・。なんで踊っちゃったんだろうなぁ・・・。
 それがバブルというものさ。みんなジュリアナなんだよ。
> ベルリンの壁だって壊れたじゃないか。
 ところがどっこい、こっちの壁は硬いな!
> 古ぼけた日記帳開き、色褪せたページには、初恋の娘の名前…
 急にどうしましたか。何かつらいことでもあったんですか。あたしは毎日つらいです。
> 子供の頃は常に命懸けでしたね。二言目には『命賭けるか?』ですから。
 すごいよね。あと100万円単位の金も気軽にベットしてたような気がする。誰が払うんだソレ。


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