8/28「宇宙論」

 ということで、時代は宇宙なんですよ。もうこの文章のはじめ方も何度使ったかわかんないけども、いったい何の時代なんだってそういうことだよなこれはな。
 たぶん子どもの頃に宇宙に憧れる人というのはたくさんいると思いますけども、あたしもそれの例に漏れずにやっぱりいろんな意味で宇宙に憧れたタイプの子どもでして、と云っても別に宇宙飛行士になりたいとかそういうのではなく、いえもちろん行けるものなら行ってみたいなあと思うところではありますがそれはともかく、なんてかな、宇宙の話に出てくる数字の規模の大きさにやられちゃったんですね。
 あたしが最初に宇宙に触れた本は、学研が出してた「まんが星座事典」みたいな本でして、これがタイトル通り基本的には星座とそれにまつわる神話なんかを紹介する本なんですけども、中にエピソード的に天文学的な知識が掲載されていたわけです。星座という非常にフランクで子どもにもわかりやすい神話をベースにしつつ、天文学的な基礎知識もいっしょに教えてしまおうという非常にコンセプチュアルな本だったわけですね。
 こういうののお約束として、男の子と女の子が出てきてそこに博士的な物知りなおじさんが出てくる、という構図は基本的に崩れていないんですけども、今考えればあれですよ、小学生くらいの時分に女の子と二人で星座を見るなんてこんな贅沢ありませんからね、当時としては何気なく読んでましたけども、これって実はすごいことなんじゃないかとこう思うわけです。こんなこと思ってるのあたしくらいのもんだろうけどもな。
 まあ別にそれはいいんですが、この本に出てくるのは名前は忘れましたけどもやっぱり男の子と女の子で、男の子はちょっとドジというか抜けてるところがあるのにたいして女の子はしっかり者というある種お約束なんですけども、これに出てくるのがまだ覚えてるんですが「角丸めがねのおじさん」ですからね。もう名前の通りでめがねが片方は四角形で片方は丸いという、こんなおじさん今考えればどう見ても不審者だよな。しかもこのおじさんが夜な夜なベランダに天体望遠鏡を出しているという、こんなもん即逮捕ですよね普通に考えれば。100パーセント盗撮犯ですよこんなものは。
 というようなあれなんですけども、子どもがそんなことを疑問に思うはずもなく、中でも一番あたしの心を奪ったのは、表2側、つまり表紙をめくったところに出ていた「星の大きさの比較」という奴で、地球をこれくらいの大きさだとするとほかの星はこんなに大きいんですよというような比較表でして、地球が豆粒くらいの大きさに書かれてて、それに比べて太陽はちょっと大きい、みたいな中に、もう地平線のほんの一部しか書かれてない大きさで「ぎょしゃ座のイプシロン星の伴星」という名前が書かれていてこの星はこんなに大きいんですよというようなあれがあって、少年の心はそれに妙にときめいていたわけです。
 もう子どもなんてあれじゃないですか、大きいものに弱いじゃないですか。そこへ来て太陽の何千倍なんて書いてあったらこれは少年は食いつきますよ。しかも「イプシロン星」「伴星」なんていうかっこいい言葉が二つ続きますからね、これはもう少年の心をとらえるためだけにある天体だと云っても過言ではありません。友達に「宇宙で一番大きい星はぎょしゃ座のイプシロン星の伴星なんだぜ」なんて云っては口ざわりのよさに得意気になっていたものです。
 ほかにも、地球をベースに何光年離れるとこんなものがありますみたいな表が裏表紙の裏、表3側に載っていて、これもまたロマン溢れる代物でした。一番遠いところには、具体的な数字は忘れましたけども「銀河の集団」というのが載っていて、つまり我々の住んでいる地球がある太陽系を含む銀河と同じようなものがものすごくたくさんあるという、そしてそこに行くには何億光年だかの距離を航行しなければならないという、数字なんて大きければ偉い、くらいの知識で以って臨んでいると、この何億光年という数字はもう子ども心を惹きつけるもの以外のなにものでもなく、無駄に「光年」という単位が流行ったりするわけです。「こんな宿題終わるの5光年くらいかかるよ」とか云うわけですが光年は距離の単位なので使い方を間違えてるわけですけども。
 そんな頭の悪い小学生時代から時代は過ぎて、今や30歳を過ぎた立派な童貞になりましたけども、やっぱり宇宙に対してなにかこう得体の知れない畏怖みたいなのは捨ててないわけですよ。
 そりゃもちろんあの頃に比べればだいぶいろいろ余計な知識はつきましたけども、それでもやっぱり「太陽の何千倍の大きさ」とか「ブラックホール」とか云われるとなんかちょっとドキドキするじゃないですか。あのドキドキはきっとなんというか、もう自分との世界が乖離しすぎていて想像のつかないものに対してのドキドキなんじゃないかとこう思うわけです。
 ちょうどあれですね、我々童貞一族が女の子と手を繋いだらどんなだろうなあ、というのを想像するのと同じことですよね。その後に何が待っているのか、それはまさに深宇宙、という言葉がありますが、いえそんな言葉ありませんけどもそれはともかくとして、そういうドキドキ感ですよ。
 さらに、宇宙の話というのはどんどん情報が更新されているわけでして、たぶんあたしがその本で身に着けた知識というのは確実にもう古いものになっているはずで、いつの間にか冥王星は惑星じゃなくなってるし、なんか火星に水があるんじゃないかみたいな話にはなってるしで、宇宙に対するドキドキは尽きないものです。
 特に「ブラックホール」の魅力は凄いです。
 子どもの頃からも「とにかく大きい」「なんでも吸い込む」などといった小学生ホイホイな要素でいっぱいなわけですけども、この年になっていろいろもうちょっとだけ専門的な「事象の境界線」とか「シュバルツシルト半径」とか云われるともうそれだけで一晩語れるよねとこうなるわけじゃないですか。その中に入ると理論的には時間さえ止まるとかもう意味がわからない。地球が手のひらに入る大きさになるとブラックホールになるとか、意味はよくわからないけどなんか凄いじゃないかと。
 もちろん天文学や物理学を本格的に学んだ人ならばそれを体系的に理解できるんだと思いますが、あたしのような文系の素人が考える宇宙の魅力は、「なんとなくわかったようなわからないような気がするけど規模が大きすぎてなんかすげえ」というような、そんなことではないかと思うのです。結局、それを体系的に理解するには物理学とか数学とかの専門知識が必要不可欠なわけで、サインコサインタンジェントさえ今となってはよくわからないあたしのような人間にとっては、言葉で説明される以上のことはよくわからないよ、とそういうことになるわけです。
 そういう意味では、やっぱり宇宙というのは童貞の人の恋愛みたいなものなのですよ。どっちも結果もなにも理論的に体系付けられず、さらには実際の経験がまったく伴わないという意味でまさに宇宙とは童貞の恋愛なのです。
 どうでもいいけど、宇宙に憧れてる女の子、っていうのはなんかちょっといいよね。こうなんか夜に誰もいない丘の上の公園のベンチで空とか見上げてて、なにをしてるのかなあ、と思って話しかけてみると「宇宙の果ては、どうなってると思う?」なんて云われて戸惑ってると「宇宙の果てはね、きっと時間と未来の果てなんだよ」なんて云うような、ちょっと謎めいたことを云う黒髪ロングの女の子なんですよねこれがね。実は通っている学校の天文部の部長なんだけど、天文部はその子しか部員がいないからっていうんで、なんとなく主人公も天文部に入って星とか見てたりするんだけども、だんだん仲良くなってきたと思ったらいきなり妙によそよそしくなったりするんですよ。なんだろうなあと思い悩んでたら、その子は実は宇宙人なんです驚いたことに。生まれた星に帰るために主人公に嫌われようとしていたというようなあれで、でも星に帰ると主人公もまわりの人もその子のこととか忘れちゃうっていうんだけど、女の子が帰った後も海辺で拾った貝殻を見てなんとなく思い出しかけたりして、その数年後に主人公は宇宙飛行士になってその子のいる星を見つけて再び再開を果たすというそういうあれですよね。よね、って云われても。あとそれ宇宙が好きとかそういうレベルじゃないだろ。
 もうなにがなにやら。

<近況報告>
> 『おいでくださいこっくりさん』、是非欲しいんですが、通販出来ますか?
 もう僕には君の云っていることが本気なのか冗談なのかがわからないよ先生! あんなんで金取ったら怒られるよ! でも実は次のコミティアに向けて小説化しようとしているというそういうあれ。
> 終戦記念日に短歌を詠んでみました。『靖国で 再び逢おうと 誓い合い 桜の如く 命散り逝く』
 いきなりそんなマジな句を詠まれても! どこにネタが隠されているのか探しちゃったじゃないか!


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