03/05 「古都のおはなし」

 とは云うものの、どうも月が変わるとどこかに旅立ちたくなるらしく、金曜夜から土曜夜にかけて奈良へ行ってきました。もう唐突なことこの上ないですね。
 まあその、奈良の神社って行ったことなかったし、あとは古墳がちょっと見たくなったんですよね。わけわからん。
 そんなわけで、適当に行きたい場所をピックアップしてから日付が変わって土曜日になってすぐくらいに家を出ます。既に二時近くなってて非常にヤバい感じだったんですが、その分だけハイペースで。カーナビの予定到着時刻は12時を過ぎててかなりマズいことになってます。距離的には伊勢とあまり変わらないんですが、なんせ一般道を走る距離が長いので油断はできません。
 朝の5時くらいに、眠気には勝てずに途中のパーキングエリアで寝てたら気付いたら外が明るくなってましてびっくりしました。なんか1時間以上寝てたらしくこれまた大幅な遅れですよ。
 伊勢湾岸道から東名阪に乗り継ぎ、亀山で降りて名阪国道を天理に向かってひた走ります。
 ハイペースで流れている国道として有名な名阪国道ですが、朝の時間帯なこともあってガラガラで気持ちよく走れました。ここでカーナビの到着予想時間がみるみる減っていくのに感動。おそらくカーナビとしては、この東名阪道を一般道で計算しているために到着予想時間が遅くなっていたんだと思います。結局最終的には2時間くらい早まってた。
 で、最初に向かったのは奈良県南側に位置する明日香村。香具山とか、結構「古事記」にも登場する地名が出てくるエリアです。
 まずは石舞台古墳。蘇我馬子の墳墓で、盛り土の部分が剥げて玄室の石だけになっており、その石が舞台のように平くなっていることから「石舞台古墳」と呼ばれています。『久遠の絆』なんかでもハイライトで出てきていた場所なので、覚えている人も多いかもしれません。
 全体的に見晴らしのいい大きな公園みたいになっていて、時間によっては結構混みそうな場所でしたが、到着したのが10時前だったこともあって誰もいません。おかげで台数の少ない無料駐車場にも入れたし、何より静かに見られたのはこれはよかった。でもあの古墳だけで入場料250円ってのはなかなか豪快だなあとも思いました。ちょっと興味あるってくらいだとなかなか入れないよなあ。
 ちゃんと中にも入れます。なんにもないですけど。『久遠の絆』ではここからさらに下に行けて神様に誓いを立てる場所があったわけですがもちろんありませんそんなの。黄泉の国もなければ裸の万葉もいません。久しぶりにドリームキャストを引っ張り出してきたのは内緒だよ。
 石舞台を出て今度は高松宮古墳。こちらは最近新聞とかでも話題になっていた通りに猛烈に工事中でどうにもこうにも。ただ、ここから見た景色は凄く良かった。まわり民家とか全然なくて、ていうかここも公園みたいになってて綺麗なのさほんとに。こうしてみると東京とかとは空の色が違うよな、ほんとに。
 そこから次に甘樫の歴史公園の駐車場に車を置いてちょっと歩くことに。飛鳥寺に行きたかったんですが、ここ駐車場に車を入れるとそれだけで500円かかってしまうんで、無料の駐車場に入れてちょっと歩きましょうよというまあケチケチ生活ですよね。悪戯に高速道路代を片道7000円も使っておいて今更500円節約してどうすんだってなもんですが。
 まあ、これだけ空気がいいと、ちょっと散歩してみようかなあみたいなのがあるわけで、さらに結構歩いてるだけでもいろいろ発見があるもんだなあってのを伊勢旅行の際に思い知ったので。ただ単にケチなだけじゃないんだよ一応。
 で、飛鳥寺に向かう途中に見つけたのが飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)。その時はわからなかったんですが、御祭神はヱビス神と同一視される事代主神をはじめとした4柱。うち1柱は飛鳥の山の神様です。奥まった場所にある割にはあちらこちらきっちり整備されている神社で、お祭りの時とかは結構賑わうんだろうなあというのが想像できます。実際、ご朱印をいただいた際に貰った紙には祭りのことがかなり詳しく書かれており、どうやら夫婦円満とか子宝祈願とかそういうあれなんだそうです。結構エロが入ってるお祭りのようでなかなかアレですね。日本人は民俗学的にエロに寛大なのですよ。
 そこからすぐそばにあるのが飛鳥寺です。あたしの旅行記の中には神社は出てくるけどお寺はなかなか出てこないもんなんですが、今回は奈良をかつての都として見た場合、どうしても外せないお寺には行っておこうと。ぶっちゃけ、古代史みたいなのの資料が欲しかったんですよ。
 飛鳥寺と云えば飛鳥大仏。火事でかつての本殿や五重塔、残り二体の仏像は焼失してしまったらしいのですが、この大仏様は焼け残り、その後に修復されてこのように残っているのだとか。今では住宅街と畑の中にあるそんなに大きくないお寺ですが、かつては相当に広大な敷地を持っていたのだそうです。
 およそ1400年前の西暦645年、当時の最高権力者であった蘇我入鹿が、儀式中に中大兄皇子と中臣鎌足に殺されるという一種のクーデター、大化の改新が起こりました。これが起こったのがこの飛鳥寺のすぐ横なのだそうです。今ではあたり畑になってしまっており、そこには首塚がポツンと建っていてどこか不気味な感じがします。
 と、ここでちょっと面白いなあと思ったのは、一般的にちょっとどちらかと云えば蘇我氏って悪役じゃないですか。それがどうあれ独裁者みたいな扱いで。でも、このあたりだとそうじゃないんですね。蘇我馬子も蝦夷も「こちら側」みたいな扱いで、そのへんの温度差にちょっと驚きます。
 次にどうしようか迷ったんですが、橿原神宮までついでだからと徒歩で行くことにしました。距離は結構ありそうなんですが、まあ行けない距離じゃないかなと。橿原神宮にも駐車場はありますがここもやっぱり容赦なく500円取られるので、もうここまで来たらどこまでも行ってやろうじゃないのという気になりますね。
 というわけで、車を駐車場に留守番させて、一路橿原神宮へ。30分くらい歩きましたね。想像以上に疲れました。しかも橿原神宮の駅からどう行ったらいいのかわかんなくて無駄に歩いた気がします。ここで迷ってる途中に、知らないおばちゃんに「540円持ってないか」と金をせびられ、なんで500円を節約するために30分も歩いたのに540円も失うのかとやんわりと「持ってない」旨断ると、なんか云いながら近くの喫茶店に入っていきました。なんだったんだあれは。500円はともかくその40円は何なんだ。奈良界隈で流行中とかそういうあれか。
 そんなこんなでボロボロになりながら辿り着いた橿原神宮。御祭神は神武天皇を中心に、桓武天皇、崇道天皇を祀ります。神武天皇ことカムヤマトイワレビコ・サノノミコトを祀っている神社は九州旅行の際に行った狭野神社とかあるわけですが、あちらは宮崎の日向神話、こちらは大和の神話に基づいているのかもしれません。一応、神話上では、高千穂の地で東征を思い立ったカムヤマトイワレビコが目指したのがこの橿向の地であり、『古事記』にも「畝火」の白樫原宮に坐しまして天の下治らしめしき」とあり、東征の最終目的地がここであったことも記されてるわけですね。ですので、宮崎では「カムヤマトイワレビコ」を使い、こちらでは「神武天皇」と即位後の名前を使ってるというような。このへんのことは『古事記』を読んでもらうと納得できると思うんですが、面倒な方はわかりやすく書いた「新説古事記」を通信販売中だよ。いやほら、一応宣伝とかもしとかないとさ、また「お前はそういうこと無頓着すぎる」って怒られるから。今なら送料無料キャンペーン中。サークル情報ページに急げ。
 というようなあれはともかく、参道を歩いていたらちょうど結婚式があったらしくて、白無垢の花嫁さんたちご一行とすれ違いました。いやもうなんだか幸せそうで羨ましい限りですよ。今はあれだよね、あんまり神前結婚式って見なくなったけどさ、やっぱりああいうのいいなあと思わないではないわけですよ。結婚どころか相変わらず女の子の手も握ったことねえけどもな。
 それでも境内は静かなものです。もう昼近くなってたんですが、こんな調子でほとんど人がいません。なかなか落ち着いてて、散策ルートとしても悪くないです。時間があればここからちょっと行ったところにあった神武天皇稜も見ておきたかったんですが。
 で、ここまで歩いてきたからには歩いて戻らなくてはならないわけです。バス停があったので見てみたらちょうど3分前にバスが出たばかりで、さらに次のバスは1時間後という、「いいからお前はちゃっちゃと歩け」と神様に云われたようでしたね。いいさ歩くさとがんばりましたよこれ。
 で、帰り道に、甘樫のそばでちょっと裏道に入ったら、たまたま「豊浦宮跡・豊浦寺跡」というのを見つけました。推古天皇の宮ですね。さらにそのすぐ裏には甘樫坐神社という推古天皇を祀る神社がありました。
 推古天皇と云えば、『古事記』では一番最後に記されている、「記紀」とは割と縁の深い天皇です。神話をおもちゃにして遊んでいるあたしからすればここはひとつお詫びをしておこうということでお賽銭も奮発しておきました。
 ようやく駐車場に戻ったときにはもう足がパンパンですごいことになっていたんですが、そのまま出発です。途中、市内の渋滞に巻き込まれたりしつつ、到着したのは桜井、三輪山の麓に位置する大神神社です。
 流石にここは混んでて、神社すぐそばの駐車場はいっぱいでした。それでも3分くらい待てばすぐに入れましたが、ほんとはやってもらおうと思っていた車のご祈祷がいっぱいで諦めムード。とりあえず参拝を済ませることにします。
 大神神社の御祭神はオオモノヌシ。オオクニヌシが国造りをしている際にやってきた神様ですね。ここは拝殿はありますが本殿がなく、その奥にある山である三輪山そのものがご神体として祀られています。
 さらにその奥には数々の摂社末社のほか、その荒御霊を祀った、病気回復のご利益がある狭井神社、そしてこれまたオオクニヌシに、突然海からやってきたスクナビコナの正体を教えたクエビコを祀る久延彦神社があります。久延彦神社のご利益は、知恵の神様ということで「学業成就」。うまいもんです。このあたりについては詳しくは『新説古事記』を以下略。
 大神神社自体は非常に大きい神社で、山にまで登ろうとするともう丸一日コースです。相当時間があるときでないとなかなか苦しくて、さすがに今回は断念しました。
 この時点で既に3時近くなっていて、どうしようかと思ったんですが結局最後に石上神宮に向かうことに。予定では石上神宮から高速道路で法隆寺、そこから奈良市内へ入って奈良公園近辺のお寺と春日大社、平城京跡なんかを見てこようと思っていたんですが、時間的にとてもじゃないけど間に合いそうにないです。このへんはまああれですね、次に来るときの楽しみを残しておいたということで。
 桜井市内から北、天理市の郊外、静かな場所に石上神宮があります。時間が時間だったのでほとんど人がいなくて静かに参拝が済ませられたのはこれはよかったなあと。境内には鶏が放し飼いにされているのも特徴ですね。
 ここの御祭神は「フツミタマ」。神武天皇が東征の際、熊野でタカクラジから授かった刀です。この刀を手にしたとたに熊野の荒ぶる神がみんな死んだというほどの強力な逸品。このあたりのエピソードは以下略。もういいっちゅうに。
 それがそうかはともかく、実際に宝剣としてここには七支刀が納められているんだとか。もちろん見ることはできないのですが。
 流石に時間制限いっぱいということで、そのまま天理から名阪国道に入ったはいいものの徒歩の疲れが来てこれは危ないと悟り、針インターで降りて道の駅で爆睡してました。気が付いたら二時間くらい寝ててむちゃくちゃ驚いた。
 そこからは同じルートで一直線に帰宅。なんだかんだで1時過ぎくらいには家に着いていたのでまあ良かったと云えば良かったわけなんですが。
 まああれですね、さすがにエリアが広すぎて一日じゃ回れないですね奈良は。結局行けないところとかあとで調べてみて行きたかった場所とかいっぱい出てきたので、そのうちにもう一回行かないと。

<近況報告>

戻る