02/11 「再会のおはなし」

 とは云うものの、話はちょっと前に遡りまして、車を買ってすぐの時になるんですけれどもですね。
 車とかバイクとかを持ってる人にはある種あたりまえのものではあるんですけれども、任意保険ってのがあるんですよ。要するに車で事故を起こしたときとかの為に入っておく保険なんですけども、車を買い換えるに当たってその保険を新しい車に書き換えないといけないわけです。
 まあそれはそれでよくて、そのために保険を入れてる農協へ行ったんですよ。やってるんですね農協でそういう事業を。
 そこでこう窓口に行ったらですね、まああれだ、受付の人がいるじゃないですか当然。女性だったんですけれども、まあね、ちょっと見たときにね、どっかで見たことのある人だなあとは思ったんですよ。でもまあ、前に来たときに受付してくれてそれで覚えてるのかなあくらいに思ってたんですよね。だってあれだもの、あたしのい頭の中に、見覚えのある女性の存在なんてあるわけねえもの。なんだこの寂しい人生は。
 それでまあ、話とかするじゃないですか。当然保険だから証書があるだもんで、それを出しますさね。出したところには当然名前が書いてありますさそれは。それでその名前を見たところで、その女性がちょっと不思議そうな顔をするわけですよ。
 ああこれはあれかと。実はこの人はあたしの幼馴染みの女の子で、学校を卒業後に農協に勤務しててそこでまあそういう受付なんかをやっていてここでドラマチックな再会とかそういうあれかとこう思ったわけですよね。まあそのなんだ、昔よくいっしょに遊んだときなんかもあったのにも関わらずやっぱりある程度年齢が上がってくるとどうしても男の子と女の子って遊ばなくなるからさ、それでもってだんだん疎遠になって行ったりはしたものの逆にこの年で劇的な再会みたいなそんなような。
 いえね、そのままでしたよこれ。もう一瞬のうちに思い描いた妄想のままの事態。名前を見たところで「もしかしてトシ君?」って聞かれました。
 そこでこう一瞬誰だか思い出せなくて、なんなんだこいついきなりタメ口かそれとも何だついにこのおもしろ顔の童貞男に一目惚れする奇特思考の女の子が登場したかとこう思って一瞬不思議そうな顔をしたら、相手もこうなんかそれを感じ取ったのかどうかわかんねえけども、「わたしです美穂です、**さんところの」というそういうあれでしてね。もうその瞬間にすっげえいろんな思い出が走馬灯のように。おいおい死んでるよ高御君。
 そこでこう一気に盛り上がることができないあたりが童貞29歳の寂しいところでございましてですね、「ああ」なんて間抜けな返事を返したりしてまして。もうなんだ、印象最悪。
 ここでたぶんあれですよ、もしあたしがだ。もう常に女のことしか頭にないような渋谷あたりでナンパとセックスに明け暮れるナウなヤングだったりすれば、ここから一気に口説いてその夜にはテルホでスイートな夜をっちゅうようなもんなんでしょうけれども、残念ながらもうちゃきちゃきの童貞君にそんなことができるはずもなく、まああれですよね、とりあえず照れますよね。照れますさそれは。しょうがねえもの。女の子に話し掛けられるなんてことめったにないからドキドキするわけ。
 しかもさ、すっげえこういろいろ思い出がよみがえってくるわけですよこれ。昔おままごととかいっしょにやったよなあ、みたいなそんなようなさ。
 おままごとってことはだ、設定的にお嫁さんと旦那さんなわけじゃないですか。こう家に帰ってくるところで「ご飯にしますか?」なんて云ったりするわけですよあたしが。おまえがお嫁さんのほうかよ。
 いやまあそれはともかくそういうあれで、こうすっごい昔の記憶がばっと一気に頭の中に再生されてもう恥ずかしいやらなにやらなわけですよ。
 まあ、それだけならいいんだけどさ、ひとつだけもうすっげえ記憶が再生されたわけですこれが。
 いやね、そのころにいっしょに遊んでた人とか何人かいたわけなんだけれども、その中で一回だけ、三人で遊んでたときに「結婚式ごっこ」ってのをやることになったわけさ。なんでそんなことやろうってことになったのかはぜんぜんわかんないんだけれども、とにかくそういうあれでね。
 とりあえずそのときのキャストが、その美穂さん一人ともう一人、ひとつ下の女の子二人で、それとあたしというような今のこの人生男子校な状態から考えると信じられないくらいの状況なわけですけれども、とにかくそういうようなあれで、これまたなんでかわかんないんだけど、そのお嫁さん役が美穂さんじゃないほうの女の子になったわけ。
 まあ、旦那さん役は男のキャストがあたししかいなかったからあたし以外にはないわけなんだけれども、それでもってさ、その美穂さんはなんかこう司会者みたいなそんなような役をやってたわけだな。
 そこでこれもまたなんでそんな展開になったのかはよく覚えてないんだけれども、「キスをする」ってことになったんさ。今考えればずいぶんマセたガキだったんだなあってことなんだけども。これまた今の童貞ライフまっしぐらなあたしからすると考えられないことではあったんだけどもさ。とにかくそういうようなあれになったわけ。
 その後の詳しいことは今ひとつ覚えてないんだけど、あたしがこうすっごく抵抗したのは覚えてるんですよ。
 そりゃそうさ、今なら考えられないようなシチュエーションだけれども、やっぱりそういうの恥ずかしいじゃないですか。あたしが別にその彼女のことを好きだったとかそういうことはたぶんほとんどなくて、なんだかんだでただよく一緒に遊んでる友達、みたいな感覚だったから余計にね。こうなんか抵抗があったわけ。まあ、だいたそうでなくても小学校の頃なんてそんなこと別に興味なんかないし、「なんかやだ」ですべて片付くじゃないですか。やだよ小学校の頃からキスしたくてたまらないガキとか。
 だけど、なんか妙に美穂さんがこうすっごい異様にプッシュしてきてさ、なんだかんだで二人とも断れない雰囲気になっちゃったわけですよ。そこでどうなったかと云うと、ここでしたさキス。あ、ちなみに今のところこれが最初で最後のキスです。最後とか云うな。ああそうかでもそういうことからすればあたしはファーストキスは済ませてるわけだな。どうだ羨ましいか。
 ま、今じゃその女の子も既に彼氏もちでそろそろ結婚するんじゃないかなあくらいの勢いなんでそちらはもう二進も三進も行かないわけで、さらに云えば彼女のほうが引っ越しちゃってぜんぜん会うこともなくなってたからそんなことすっかり忘れてたわけなんですけども。
 しかし今考えれば、どうして美穂さんがあのときにそこまでキスに固執したのかってことがすごく気になるわけですよ。
 どうにもただ遊びでやっていただけとは思えない。しかも、その後一回も美穂さんと遊んだりした記憶がないこともすっごい気になるわけ。
 そこでたとえばこういうあれだったらどうかと。もともとそのもう一人の女の子があたしのことが好きだったと。そこでこうちょっと「どうしたらいいか」みたいな相談を受けてて、「じゃあ結婚式ごっこをやって既成事実を作っちゃおう」みたいなあれになったと。そこでこう必死にプッシュしたというようなあれだったんだけど、実は美穂さんもちょっとあたしのことが気になったりしてたわけですよ。だからちょっと会うのが辛くなるし二人の恋路を邪魔しちゃいけないみたいなあれでその後は一回も遊んだりしなくなったとこういう極めて科学的かつ論理的な推理が成り立つわけ。
 そこでこの20年ぶりくらいの出会いですよ。ああそうかこれフラグかと。幼馴染みルートかと。ついにあたしにも「お弁当作るでありますよ隊長」みたいなそんなようなあれかと。もうなんかいろいろ入りすぎててさっぱりわかんねえけどもそれはともかく、幾多のルートをかなぐり捨ててきてバッドエンドルートまっしぐらというかこのままだと「僕たちずっと友達だよね」みたいなそんなようなあれにすらなりかねない状態になっていたわけだけども、ここにきてついに特定キャラのルートに入ったかってことですよね。
 なんかこう、いかにもダメなエロゲーとかにありそうな展開じゃないですか。なんかわかんないけど二人きりになったりするんですよ思い出の場所で。どこだかわかりませんけどじゃあ結婚式ごっこをしたところにしましょうよただの田んぼですけど。そのなんだ、ひとしきり思い出話に花が咲くわけだ。そのあとにちょっとしんみりした雰囲気になって、「あの時わたし、すごく後悔したんですよ」なんてことを云われたりして、「今度はわたしがお嫁さんになります。だから……キスしてください」みたいなことにはなるさねそれは。お前妄想もいいかげんにしろよこの不細工童貞29歳、なんていう突っ込みっていうか気の毒な人を見る目は要りません。救急車も呼ばなくていいです。
 という考えがものの数秒の間で一気に駆け巡りましてね、もう凄かった。契約内容とかさっぱり覚えてないもの。気が付いたら前までの保険より掛け金が5万円くらい高くなってた。何契約したんだあたしは。
 ああそうそう、それから二度ほど窓口で彼女と話しましたけど、現実はもちろん別に普通に話してそれで終わりましたよ?それ以上の展開なんかあるわけないだろ。そんなもんあったらこんな文章書いてねえっつの。残酷だねえ現実は。そういうことじゃないだろ。
 ちなみに今日、車を洗ってたら偶然彼女に会いましたよ。近所に住んでるんですね今でもね。普通にこんにちわありがとうございましたで終わりましたけどもね。ああそうかここでちょっと時間があったらお茶でもどうですかくらいのこと云わなきゃいけないんだなきっと。そんなこと云えるツラじゃねえですけども。

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