とらいあんぐるハート3 [とらいあんぐるハート123 DVD Edition](JANIS)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント4+3+3+4+8+
シナリオ:都築真紀
原画:かっちん
音声:有
主題歌:


<シナリオ>
 ある意味で、ものすごく「普通の」恋愛AVGです。主人公が一人の女の子に恋をして結果としてエッチをして、という、バックボーンにあるのはそれだけ。
 で、物語自体もごくごくスタンダード。物語をがつんとひっくり返すような仕掛けがあるわけでもなく、ある程度ゲームなんかをコンスタントにやっている人であれば、これはきっとこういう展開になるのだろうなあ、というような物語の結末というのはだいたい読めると思います。
 なのですがこの作品、それを裏切ることばかりがシナリオの妙味ではないのだなあというのをしっかりと感じさせてくれます。そういう意味では、『みずいろ』なんかの作品とジャンルの傾向は似ているのかもしれません。
 とりあえず主人公は一介の学生でありながら、剣道などとは違う「殺人術」である剣術の使い手で、妹・美由希に対してその技を教えています。また、同時に彼の家には母親である桃子、彼女の娘であるなのは、そして同じく武術をやっているレンと晶という女の子たちが住んでおり、時々桃子の経営する喫茶店で働いている歌手志望のフィアッセという女の子が家にやってきます。
 シリーズ二作目と比較すると、この主人公が置かれているシチュエーションというのは、よりわたしたちと遠いところにあります。
 「2」の場合、主人公である「耕介」は調理師免許を持っているという特技こそあれ、他の面では至って普通のどこにでもいそうな男性に過ぎませんでした。ところがこの「3」においては、いきなり殺人術の使い手でしかも家に道場があって亡き父親はその術を使ったボディーガードだったりして、なかなか主人公と自分をイコールで結びやすいという視点からすると、はっきりと遠ざかっています。
 ところが、それでもいいのです。これは『とらいあんぐるハート』シリーズに共通だと思うのですが、このシリーズに一貫して存在しているのは、理想のコミュニティを描いていることと、そのコミュニティに対してプレイヤーが「参加する」ことで帰結するという点です。
 あの高町家というのはまさにひとつの理想的なコミュニティです。あそこにあるのは、ちょうど修学旅行にいったときのような、言い知れない楽しさの再現なのですね。
 朝起きるとそこに友達がいて、食事をするときも友達がいて、そこにあるひとつひとつがわくわくするようなあの感覚です。
 あそこにはみんながひとつ屋根の下で寝泊りして毎日生活して、それでいながら人間同士が裏でドロドロしたりねちねちと陰口を叩いたりするのでもなく、本当に純粋に「いっしょにいて楽しい」という関係が築かれています。
 そしてその中に恋愛の要素が加わっても、決して人間関係が崩れることがありません。男性であるとか女性であるとかそういうのを超越した、まさに「永遠に続く幸せ」のひとつの表現なわけです。
 たとえば、朝に学校に行くスクールバスを待っているなのはに出会って、ほどけかかったリボンを結んであげるというイベントがあります。これなんかは実に象徴的で、「そういうことがすべて普通である」というその状況そのものに対する理想像の描写と云えますでしょう。
 これはいわゆる「萌え」とかなんとかいうような類のものともまたちょっと違っていて、本当に純粋にこの世界への憧憬なのです。
 『とらいあんぐるハート』シリーズの最大の特徴は、そのコミュニティへの参加方法を無限に用意していることです。
 通常のゲームでは、あくまでもその参加形態は「主人公(=プレイヤー)」としてのみ許されています。
 つまり、プレイヤーは主人公になることで、こういうコミュニティの中へと入り込むことができるわけですが、対してこの「とらいあんぐるハート」シリーズは、プレイヤーの参加形態は自由です。主人公として高町家の一員になるのももちろんアリだし、レンとして、なのはとしてコミュニティに参加することもまた許されています。さらにはその誰でもない「自分自身」としてコミュニティを構成することさえ可能なのです。
 その場合、主人公はただの名前のある一キャラクターになるというだけの話で、プレイヤーが参加しているコミュニティは、相変わらず無限の楽しさや優しさをもってわたしたちを迎えてくれます。
 ここが凄いと思うんですよね。まずはそういうコミュニティを描くこと。そしてそのコミュニティへと参加させること。この二つは、実に危ういバランスでしか存在できません。
 その構成要素は一人一人のキャラクターが持つ個性であったり置かれている状況であったり、はたまたそこに描かれるエピソードであったりと実にさまざまで、それが結果として安心して心を開いておける空間を演出しているわけです。
 そしてそれは、「感情移入」という言葉と密接なつながりを持ちます。通常、「感情移入」というのはプレイヤーに主人公に対する同一性を意味する言葉なのですが、このシリーズに関してはそれは必ずしも当てはまりません。
 もしこの、一般的な意味での「感情移入」を「第一種感情移入」とするのならば、ここで云うのは「第二種感情移入」……世界そのものに対する感情移入です。
 これもまたわかりにくい話になってしまいますが、この作品は、実はプレイヤーの居場所というのが実に微妙です。これはそれぞれのプレイヤーやその折のシチュエーションが決めることで、時として主人公キャラとイコールだったり、はたまた別のキャラとイコールだったり、誰でもない「神の視点」だったりします。
 「視点がゆれる」のではなくて、どちらかといえば、それを無意識にスイッチングしている感覚に近いですね。通常であればこれは視点のゆらぎを巻き起こし、どうにも落ち着かない印象を与えてしまいますが、この作品ではそれがありません。これこそが「第二種感情移入」の結果です。
 つまり、プレイヤーはこの世界の中にいながら、世界を見渡すことが出来る存在です。
 これはすべてを見通した「神の視点」とも違います。『とらいあんぐるハート』というひとつの世界観を構築する中にいる要素とでも云えばいいのでしょうか。実世界には存在しない「虚数の存在」です。
 先ほど「危ういバランスの上にある」と云ったのは、つまり、主人公=世界が、本来は存在しない虚数であるという前提に基づいているからです。
 だからこそ、この作品に描かれる物語は、ここまでスタンダードなストーリーを語りながらもしっかりと感動させてくれます。とにかく展開そのものに非常に美しさを感じるのです。
 もちろん、ガツンとくる感動では決してありません。先にも述べたように、どちらかと云えばどこかで見たような、想像どおりのところにくるという意味では、物語としてはきわめて平凡です。
 なのですが、それがゆえにじわじわとこみ上げてくるものがあるのですよ。決して大きな不幸を誰かが背負ったりする終わり方のない、あらゆる意味で安心させてくれるコミュニティと世界の演出……そんな『とらいあんぐるハート』シリーズの最後を飾るには、この『とらいあんぐるハート3』という作品は実に相応しい物語だとわたしは思います。
 で、もうちょっとシステマチックな話をするならば、このシリーズは「結ばれました。はい終わり」ではありません。むしろ、恋愛が成就してから本当の物語が始まる感じです。
 この展開もまた巧くて、なんというか、好きな人ができて、それがゆえに楽しくて……という一連の思いがちゃんと演出されています。そして、これでもコミュニティそのものは決して崩壊しません。二人を暖かく迎えてくれるのです。
 このあたりの展開というのも、きっちりと世界のバランスを以って存在しており、本格的に始まるそれぞれのキャラクターが持つ背景を語るストーリーをより深いものにしています。一時の幸せを描くことで、そのあとに起きる大きな事件をより際立たせている印象ですね。特に美由希と忍、那美の話においてそれは顕著です。
 この作品の個別シナリオに関しては、すべてのシナリオがそれぞれ別個の「二つの要素」を持っています。
 那美のシナリオなら「昔の記憶への回帰」と「過去からの鎖の断絶」、忍のシナリオなら「過去から流れる自己の確立」と「未来に対する幸福の収束」といった類。
 こういうものを本来一言にまとめようとすることに無理があると云うのは十分に承知しているので、あまり言葉尻一つ一つの意味に関しては気にしないでいただきたいのですが、とにかく大切なのは、すべてのシナリオの流れが「過去から未来へ」と流れているという点です。
 この場合、前者が「過去」で、後者が「未来」となります。この流れが自然であって、なおかつ構造としてしっかりしたものであればあるほど、物語は深みを増し、語られるキャラクターもまた魅力的になるのです。
 ただ、エッチシーンに関してはちょっと不満。一度目のエッチから後は単純パターンプラスアルファの繰り返しにすぎず、回数が多ければいいというものではないんじゃないかなあというのと、なによりエッチシーンの最中に選択肢を頻繁に出す必要というのがあるのかどうか。
?  もちろんエッチシーンがなくてもいいというのではありません。はっきり云ってしまえば、この作品に関しては、二人が結ばれるという意味合いにおいてのエッチシーンはなくてはならないものだと思いますし、はじめてのエッチに対するなんとなしに漂う恥じらいというのの絶妙さや必然性というのはもはや云うまでもありません。
 ただ、それが故にエッチシーンが始まってしまうと瞬間的にテンポが悪くなってしまうというのは、これがエロゲーであるからこそなんとなく勿体無いような気がするのです。

<CG>
 決してどこから見ても巧いというタイプの絵ではないと思いますが、立ち絵を含めてとにかくキャラクターが魅力的。こういう女の子たちを描かせたら、やっぱりこのシリーズはトップクラスですね。
 まあいろいろと好みもありましょうが、個人的には一枚絵よりも立ち絵のほうが好きです。女の子たちの豊かな表情がよく出てて、見ていて飽きません。細かいところですが、散る桜の演出などの背景処理も実に絶妙です。

<システム>
 普通のエロゲーシステムなんですが、スキップの速度も高速だし、ボタン配置やセーブの数、選択肢で自動的に働くオートセーブ機能など、システム周りに関してはアドベンチャーゲームとして特筆すべき点もないかわりに不満な点はありません。
 ただ、時間制限のある選択肢というのはなんとなく蛇足なような気はしました。別に「選択肢を早く選ばなければならない」理由など存在しないし、ただ単にせかされているだけのような気がしてどうも落ち着きません。
 最近はこういうリアルタイムで選択肢を選択させるタイプの作品も増えてきましたが、これをシステムとして生かすのは、単純なアドベンチャーゲームではなかなかに難しいのではないかと思います。

 <音楽>
 最初は「とらいあんぐるハート」シリーズにI'veの曲というのがなんとなく違和感あったのですが、これが耳慣れてくると実に素敵な曲です。エンディング曲に関しては流すタイミングが巧いというのもあるのですが、曲単体としてもなかなかに聴かせてくれます。
 もちろん歌付きの曲ばかりではなくて、劇中曲に関しても同じ。絶対的に好きな曲というのは個人的にはとくに存在しないのですが、基本的にはほとんどの曲が平和な日常を演出するようなのんびりゆったりとした曲で、聞いていて実に落ち着きます。
 で、声。基本的にはシリーズおなじみの声優さんたちが登場しており(このあたりも、シリーズのファンには嬉しいところでしょう)、さすがにみんな巧いです。技術的にどうこうというよりも、キャラクターを可愛く見せる演出を心得ている感じ。
 一人で複数役をやっている人も何人かいますが、それをまったく感じさせないあたりはさすがです。まあ、ちょっと敢えて云うなら、久遠・リスティ・フィリスの声だけはいまだにちょいと慣れませんが……これもまあ好みの問題か。

<総合>
 さすがにシリーズを重ねて熟成されたなあ、という印象ですね。とにかくよくできてます。
 プレイ時間のバランスもいいし、「シナリオ」のところで書いたように、それぞれのキャラクターたちがあまりに魅力的。ひとつひとつの台詞回しなんかをとっても、とにかく可愛いこと可愛いこと。
 この作品、終わった後に、同じようにこの作品が好きな人と話をしたいなあ、と思う一作ですね。どこがよかったかとか、どの娘が可愛かったかとか、そういう話ができる友達がいるとたぶんもっと浸れると思います。
 というのも、基本的にはこの物語は「コミュニティへの参加」がひとつの方向として用意されていますから、同じコミュニティに存在している人とがどう感じたのかというのは非常に興味深いのです。
 古典的な純然たるラブストーリーでも、演出や方法によってはここまでの力を持つというのは一種の驚きではありますが、だからこそ素直に物語を楽しむことができる。そんなことを実感させてくれた作品でした。

2002/11/16
2002/11/20 修正


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