天使のいない12月(Leaf)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント4−
シナリオ:三宅章介
原画:みつみ美里/なかむらたけし
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『I hope so...』/エンディング:『ヒ・ト・リ』)

-今まで描かれなかった「エロゲーの裏側」-

<シナリオ>
 基本にあるのはどんなことに対しても投げやりに対応してきた主人公が、クラスであまりに目立たないが故に名前も知らなかった女の子と体の関係を持ってしまい、それをきっかけにしてさまざまな状況が変わっていく……といった話。そこから先はそれぞれのキャラクターによって話が分岐してまったく別のストーリーが語られます。
 と、ここでいきなり脱線して少しばかり大きい見地の話になりますが、アダルトゲームというのはそこにアダルト要素があってこそなんぼですから、それが例えば普通のなんということはない愛恋沙汰を描いたものであっても、結局行き着くところは体の関係であるということになってしまいます。
 これは別段当然のことですし、もちろんこんなことを否定するつもりなどまったくありません。
 陵辱モノとかのジャンルを除けば、恋愛のプロセスとして、たとえば誰かが誰かを好きになり、デートのときにいいムードになってそのままエッチをして、目が覚めてみたら二人で微笑みあって……という、古典的とも云える一連の流れと云うものが確立していたのです。ただ、それが多くのアダルトゲームのエッチにおいては当然のことになってしまっていて、多くの人はそこに疑問を抱きませんでした。
 そうではなく、例えば「体の関係」を中心にして物語を展開したとしても、これは結局同じことです。
 その関係に作品中の二人は何の疑問も抱くことはなく、純愛モノと云われるジャンルにおいて言葉でやりとりしていた恋愛のプロセスが、セックスという直接的な形で置き換えられたというだけの話です。
 これと前者は、たまたまその位置が正反対なだけであって、スタンスとしてはまったく変わることはありません。「エッチをする」ということが、すなわちその男女を結びつけるひとつのプロセスであり、物語ではクライマックスに持ってくるに値する、体と心ともに結びつきを決定的なものにするメソッドであったわけです。
 ところがこの「天使のいない12月」のシナリオは、その「お約束」を根本から突き崩します。
 好きだから体を求める、というのが暗黙の了解になっていて、たとえば好きだから体を求めないという愛の形はないのか、はたまた好きではないけど体を求めるという愛の形はないのか。そんなメッセージを突きつけてきます。
 メインヒロインである透子は、「わたしはバカだから体しかあげられない」と云います。そして主人公もまた、お互いに退屈になにもない人生を生きていくのだから、せいぜい体の関係くらい持つか、と云いきり、それに透子は、今まで誰の役にも立てずに存在意義すら失いかけていた自分が、体を提供することで彼の役に立てると満足そうに微笑みます。
 お互いの心を拒絶する微笑を、恋愛のひとつのプロセスではなく、ひとつの恋愛の形として描くのです。お互いの世界を拒絶する盟約を、お互いに最後まで築き続けるのです。
 好きだからエッチをする、というアダルトゲームの常識は、そこには既に存在しません。「好きである」というその言葉ですら、お互いに好きである、という恋人を演じている上でのト書きであり、台詞にほかならないわけです。
 この作品の物語を重くしている一番の原因がここにあります。
 これは透子だけではありません。ほんの少しのネタバレを許してもらいながら云うのであれば、この作品に登場する女の子たちはすべて、「体の関係」というものに恋愛の形を見ることになります。
 否、それはもはやお互いに恋愛と呼べるものですらありません。体を重ね合わせるというたったそれだけの関係というそれ以上でもそれ以下でもないのです。
 そこには当然、その形に巻き込まれるように押しつぶされる人々の姿も描かれますが、彼らに救いの手は差し伸べられません。
 彼らに対する救いの手は、すなわち世界と相反するものでしかなく、それが故にこの作品には、「みんなしあわせに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」というようなハッピーエンドというものは存在しません。透子やしのぶのシナリオなんかは特にそれが顕著だと云えるでしょう。
 それとて最後はお互いに心から好きだと云えるの、なんていう終わらせ方はせず、どこまでも徹底しています。もっと云ってしまえば、「お互いにお互いのことが心から大切で好きで、それこそが愛なのです」という概念すら突き崩してしまっているのです。
 このへんの書き込みは本当に凄いと思いますし、おそらくここがこの作品の見所としてはもっとも大きなものになってくるのではないかと思います。
 もちろん感動して大泣きしましたとかそういう系列の作品ではありませんが、なんだかしくしくと胸になにかが内側から突き刺さるような痛みというのはあるかもしれません。
 キャラクターの立たせ方も非常に巧いのですが、これをきっちり読み終えた後に、なんとかちゃん萌え、みたいなことを云える人とというのはあまりいないような気もします。
 しかし勿体無いのは、キャラクタによってはちょっと展開が走りすぎている感じがすることでしょうか。
 明日菜や須磨寺あたりはエンディング近辺のエピソードはものすごく美しく描かれているのに、そこに至るまでの経緯があまりに軽すぎるような気はしましたし、真帆やしのぶに関しても事件が起こってからの展開があまりに早すぎるような気はします。
 ただ、このへんをあまりくどくしてしまうと絶対的なテンポの悪化を招くことにもなりかねませんし、テキスト分量のバランスとしてはちょうどいい感じに調整されているのかもしれません。
 が、実際に物語として読み進めていくと、行動がきっかけに対してあまりにも突然だったり大きすぎたりしているような気は若干しないでもありません。
 そしてまた、アダルトゲームとしてみた場合、そういう話ですからエッチシーンのボリュームはかなりあります。そしてまたこのエッチシーンは、物語上必要不可欠なものです。これが二人の関係を描くたった一つの手段なのですから、これがなくては物語そのものが崩壊します。
 この「エッチシーンが必要なものになっている物語」であるというところもまたひとつのポイントなのです。
 たとえば純愛モノと呼ばれる多くの話では、エッチシーンは「おまけ」でした。
 純愛モノにおける恋愛のプロセスというのは、出会いがあって、急接近して、なにかのトラブルがあってトラブルを解決して二人は結ばれるという大まかなパターンが存在しており、つまりこの「結ばれる」というのが一番最後の過程である以上、物語の進行においては何ら必要なものではありません。
 無論、二人の結びつきを決定的なものにするという「演出」としては有効なものになりますが、仮にそれがなかったとしても物語は存在できます。そうでなければ、エッチシーンの表現ができないコンシューマゲーム機での恋愛アドベンチャーなど成立し得ない、ということになってしまいます。
 逆にエッチが中心なのですという、いわゆる「アダルト中心のアダルトゲーム」の場合、今度は物語が邪魔になります。
 アダルトビデオのエッチシーンの前にあるストーリーパートを見て感動する人がいないのと同じことで、あれは「ここは学校で、先生が生徒に悪戯をしようとしているのだ」とか、「ここは会社で、上司が仕事を失敗した若いOLに手を出そうとしているのだ」などというシチュエーションの説明にすぎません。
 アダルトシーン中心のアダルトゲームにもそれが云えます。本来、ただエッチなCGとテキストとボイスがあればそれでもいいのですが、それだとどうしてもシチュエーションの説明が弱くなりますから、仕方がなく間にシチュエーションを説明する程度の「物語」を挿入するわけです。
 どちらかを中心にすれば、どちらかは語るには弱いものになる……というのは、もはや物語がすべての事象が「必要でなくてはならない」物語そのものが抱えるジレンマなのでしょうが、この作品はその根本にある「体と愛の関係」というコンセプトにおいてその問題をクリアしてしまったのです。
 これは云うほど簡単なことではありません。複雑な人間関係や言葉による謎解きのようなギミックを入れることなくこれを成し遂げたというのは、実際に物語を読んでみて気が付く感動ですらあります。
 そういう意味においては、本当に「良質の物語」なのですが、なかなか誰にでも手放しで薦めることができるかというとこれは難しいかもしれません。

<CG>
 一枚絵・立ち絵ともに文句ありません。逆に背景はまあ普通なのですが、それもきっちり描き込まれるところは描き込まれていますので文句などあるはずもありません。特に立ち絵の表情の豊かさには驚かされるばかり。真帆なんかは、立ち絵で変わる表情を見ているだけでも楽しくなってきてしまいます。

<システム>
 主だったバグなどはありませんし、高速なスキップ、ホイールによるバックログ、必要十分なセーブ数など、目立ったところがないかわりに過不足ないシステムになっています。雪の表現などの演出も抜群だし、ノベルのように画面全体を使っての表現と、テキストボックスを使った表現が混在しているのも、最初はなんとなく戸惑いますがすぐに慣れるでしょう。CGモードや音楽モードなどの回想関係も非常に充実しています。
 また、フラグがかなり特徴的で、特にキャラクターごとの進行になる中盤以降は、まちがった選択肢を選ぶと即バッドエンドに直行します。なんとなくあっけなさは感じるものの、無駄な時間を間違った選択肢で取られることがないというメリットもあるわけで、これはまあ良かれ悪しかれですね。

<音楽>
 歌モノ、とくにエンディング曲は本当に綺麗。過酷な物語の最後を演出するに十分な曲ですね。劇中曲も悪くはないのですが、シーンの展開によって頻繁に曲が切り替わってしまうため、どうしても印象には残りづらいかもしれません。
 声に関しては、男性を含めたフルボイスというのがまず好印象。これが男性の声抜きだったらもう少し物語そのものの演出として弱くなっていたと思います。声そのものについてもみんな巧いんですが、特に透子の声は実に印象的。キャラクターのイメージ通りの「一所懸命しゃべっている」という感じがものすごくよく出ていて、物語が物語だけに、その声がさらに切ない感じを増幅させています。

<総合>
 「シナリオ」の項目にも書きましたが、普通に普通の恋愛モノが読みたいのであればこれはまったく別物で、この物語が楽しめるかどうかと言うのはいわゆる「後味が悪い」話の展開を許せるかどうかというのにかかってきますので、なかなか手放しで面白いからやってみろとは云いづらい作品ではあります。
 が、確実に物語としては良質ですし、これもまたひとつのラブストーリーであることは間違いありません。
 そこにあるのは無償の愛などではなく、自分が、そして大切な誰かが幸せになる方法を暗闇の中で探しつづけ、行動し、しかしその幼さ故に過つ……というひとつの物語なのです。「痛い」とか「後味が悪い」とか感じるのも無理からぬことですが、それは物語そのものが「幸せを探していたけどみんなが幸せになれなかった」という形を描いたからに過ぎません。しかし、それだからこそこの物語は美しさを持っているのだと思うのです。
 無論、こういう展開をした作品というのがこれがはじめてだということは絶対にないでしょうが、これをリーフというブランドが注目されている作品でやってしまったということは、それなりに意味のあることなのでしょう。きっと。
 しかしどうでもいいことですが、普通の箱の中にDVDのトールケースが入ってるってのはなんか凄いな。

2003/9/27

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