水夏 (Circus)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント5+5+9+
シナリオ:
原画:七尾奈留
音声:有
主題歌:有

-完成された作品としての「物語」-

<シナリオ>
 一応、形式としては4つの別の章から構成されるオムニバス物語です。なので、なかなかに大まかなストーリーを語るというのが難しくはあるのですが、さしあたって一つの共通点は、「常盤村」という小さな田舎町を舞台に、それぞれにそれぞれの人々の思いが交錯する物語です。
 などと云ってしまうとあっさりですが、この作品における物語の本質は、おそらくそこにはありません。これは表層的な一面だけを捉えた至極簡単な結論に過ぎません。漠然とした言葉で云うならば、とにかくそこにあるのは、一つの物語から紡ぎだされる圧倒的なまでの美しさにあります。
 物語そのものの話へ入る前にまず特筆すべき点は、作品のテンポという枠組みを超えたところに存在する、文章そのものの美しさです。文章のテンポというのは、アドベンチャーゲームやノベルゲームというのは基本的には次々と表示される文章を読んでいくことが基本的なプレイスタイルなわけですから、この「読む」というのを阻害されるような存在というのはもっとも大きな障害になります。どんなに美味しいものでも、舌ざわりの悪いものはあまりたくさん食べたくはないのと同じですね。ある文章が次に表示される文章へと繋がっていく過程において、それが自然に繋がっていく状態を指して「文章のテンポがいい」と云っているわけですが、この作品のテンポのナチュラルさというのは、ゲームよりもその敷居が低い小説においてもなかなか見ることは出来ません。文章の流れがあまりに自然なので、出てくる文章を読んでいるというよりも、出てくる文章がそのまま頭の中に次々と入ってくる感じなのです。
 この作品の文章には、日本語という言葉を生かしきった美しさがあります。テンポが読ませることを阻害しないという話の上に成り立つ定義であれば、この美しさというのは文章そのものが持つ一つの意味であり、ちょうど一つ一つの言葉が持つ意識を、あえて意図的に組み合わせることで生まれる完成された存在です。
 この絶妙な美しさは、この作品のあらゆるところで生きています。例えば一つは風景や景色、情景の描写。凝った云い回しというのともまた違います。凝った云い回しというのは、時として表現がプレイヤーの想像を上回ってしまい、逆に情景の想像を妨げる結果を生んでしまうこともままあるのですが、この作品の云い回しは、プレイヤーの中にその情景を再生させる言葉を意図的に選び出して使っています。だからこそ、夏の昼間の暑さや夕方の寂しさがしっかりとこちらに伝わってきて、それが結果として物語を彩ることになるのです。
「黒で塗りつぶしたような暗闇の中に立つ、それはカカシだ。風ではたはたとはためく布が、空中に浮かんでいるように見える――白い布。もしそれが布では無くて、ハンカチだったならば……、それは、別れの一幕と思えただろう」
 なかなかこういう纏まった作品の中から一文を抜き出すというのは難しくもあるのですが、雨の中の暗闇や恐怖感を表現するのにこういう表現を持ってくるというのは、やはりこれは間違いなく「凝った表現」でありながら、あたかも文学を意識したかのような「美しい表現」であると云えますでしょう。単純な云い回しによる文調の変化だけでなく、その礎として存在する微妙な意味を持つもう一つの表現が生きているのです。
 そしてもう一つはキャラクターの描写や台詞回しです。こちらのほうがおそらく効果が強く、また、わかりやすいでしょう。この作品が、いわゆるキャラクターに重きをおいた「萌えゲーム」として機能することができるのもおそらくここに理由があります。
 キャラクターの設定自体が、通常にあるいわゆるよくあるパターンを微妙に外した設定になっているというのは確かにあります。例えば第二章の白河さやかは、おしとやかな外見ながらどこか掴み所の無い、天然ボケやお嬢様ともまた違う一人の特殊性を持ったキャラクターとして描かれています。しかしそれだけではありません。ここでこういう行動をとらせれば、はたまたこういう台詞を喋らせればこのキャラクターはより一層魅力的になるという演出力を意識しているのはまず確かでしょう。それだけならそれで終わりなのですが、この作品の場合、その言葉や表現が一種の美しさを持って響いてくることが多々あるのです。
「それでズボン買って、Tシャツ着るの。髪切ってさよなら女の子。こんにちは夏休み」
 これ自体は本当に何気ない台詞ですし、本編においてもこの台詞は本筋ではなく、明らかにギャグとして描かれています。なのですが、この言葉、妙に耳当たりがいいのです。会話や人物の台詞というのは、可変であるが故にどうしてもテンポから外れたところへ行きがちですが、この作品はそれぞれ個々の台詞にまでテンポを持たせてしまっています。それはもちろん本文とも繋がり、また同時に次の台詞とも繋がり、結局は物語を構成している世界そのものへと繋がっているのです。
 そしてその本文というか、シナリオそのものの完成度も非常に高いです。物語とはこんなにもすばらしいものなのかと本気で感動してしまいました。
 いわゆる「鬱ゲー」という言葉があって、これはまあつまりシナリオの展開や結末があまり後味の良くない、結果として落ち込ませるような物語のことを指すのだそうですが、この作品は決して「鬱ゲー」などではありません。確かに人は命を落としたり、そこから出ずる悲しみが描かれたりしますから、そういう表現がここに当て嵌まるのならばそうかもしれませんが、主なエンディング二種類においては、両方とも最高のハッピーエンドだったとわたしは思っています。
 四章構成のうちのすべての章が予想もつかないシナリオのどんでん返しに彩られた構成から成り立っていて、どれもみな一様に好きなのですが、全ての物語の結末が語られる第四章はとりあえずおいておくとすれば、わたしにとって最も魅力的だったのは第二章でした。
 第一章や第三章がつまらないと云っているのではありません。第一章の結末はまさにギャルゲー・エロゲーの常識を一種破ってしまった、まさに「水夏」ワールドの序章に相応しい出来でしたし、三章の複雑に絡まったからくりの美しさや、そして何より恋愛の盲目的な怖さというものをこれほど端的に描いた物語を、わたしは寡聞にして聞いたことがありません。
 第二章は、おそらく結末としてはもっともしっくり来ないというか、納得できないという旨もあるのではないかと思います。それは、ギャルゲー・エロゲーの結末としてはあまりにあんまりと云うか、その直前のシーンで泣いてしまったこの感動をどこに持っていけばいいのかという結末であったからでしょう。あそこで終わっておけばすべてが綺麗に片付いたものを、この後を入れたことでさらに終わったはずの話がややこしくなり、結局なんだったのかよくわかんないよ、ということですね。
 ですが、やや外れたところにある第四章を除けば、この第二章の美しさはやはり特別です。あのシーンで終わっておけば確かにうまく纏まった、ということで終わったのかもしれません。それはそれでよいのですが、そこにさらにあの結末(表題:「はじまる夏休み」)を付け加えることで、この第二章はここから第四章へと見事にリンクしてしまったのです。そしてこれを踏まえた上でもう一度最初から第二章をやってみると、この美しさがさらに際立つことになるわけです。
 そして第四章。今までの三つの章がまとまり、最後に一つの結末を迎えます。どうして前の三章が「必要だったのか」がここで明らかになります。そういう意味で、この厳密な意味ではオムニバスではありません。一〜三章まではお互いのシナリオは表層的にしかリンクしてはいませんが、この第四章ではそのリンクが決定的なものになっています。物語的な繋がりはそれほど色濃くはありませんが、その建立に流れる作品のルートは、はっきりと第四章へ向かって流れているのが感じられますでしょう。
 はっきり云って、この第四章はそれまでの三つの章と比較しても明らかに難解です。ゲームがではありません。その物語そのものがです。おそらく一度二度クリアしただけではなかなか意味が掴みづらいでしょう。まあ、シナリオや文章の巧さのお陰で、シナリオの意味などほとんどわからなくてもちゃんとぐっとくる展開になっており、二つ目の実質的な結末(表題:「次の夏へ」)の最後だけでも十二分にその感動を味わうことは出来ます。この終わり方はいわゆるギャルゲー系の物語の中にある「感動的な結末」というやつで、それが故にわかりやすい感動を齎してくれるのです。
 もちろんそれはそれでいいと思います。なのですが、それは例えば「Air」のラストシーンの一部「ゴールっ……」のシーンでの感動で「感動」を止めてしまい、そのあとのシーンや展開、物語の部分に触れない勿体無さとよく似ています。
 確かに難解な話です。正直な話、既に両手の指では数え切れないくらい繰り返してプレイしてみたものの、これを書いている今でもこの話を一から十までわたしの中で消化しきれているかどうかというのはわかりません。ですが、これは是非おぼろげにでも話の概要がつかめるまで繰り返してやってみていただきたい作品です。繰り返してプレイすることで、一度目のプレイでは気が付かなかった微妙な言葉のニュアンスの美しさや、はたまたシナリオ展開そのものの美しさに自ずと気がつくことになるでしょう。
 この物語で、特定のキャラが可愛いなあとかなんとか云う類の感情や、はたまた「感動」だけを味わうのはなんとなく勿体無いような気がします。もう一つ、他の作品では滅多にお目にかかれない「美しさ」もきっちり兼ね備えているのですから。

<CG>
 背景・キャラクター・立ち絵とすべてにおいて個人的には大満足。絵の好みというのは人によってかなり差があるのであれですが、イベント絵はみんな綺麗だし、立ち絵も可愛いです。表情によってはちょっとコミカルな感じの立ち絵になったりもしますが、これが逆にアクセントになってて、イベントシーン以外のシーンも楽しませてくれます。全体的にイベントCGに関しては若干少なめのような気がしますが、個人的には立ち絵を見ているだけでも十分に満足だったのであまり気にはなりませんでした。
 ただ一つだけ。男キャラはもう少し丁寧にというか、力を入れて描いてもよかったのではないかなあ。と云っても出てくる男性キャラなんて三人だけなんですけど、特に第一章の主人公はかなりヤバいことになってます。まあ、エロゲーなんだから男キャラなんてどうでもいいのかも知れませんが、あの恋愛物語の中にあるのがあの主人公だと思うとなんだかちょいとやるせないものが……。

<システム>
 これでもかとばかりに便利なシステムです。セーブは数は豊富でサムネイル付きのコメント挿入可能、文字速度の変更やウインドウモードの切り替え、メッセージスキップなど一通りのことができるのはもちろんですが、進行中のシナリオにおいて現在自分がどのあたりの位置にいるのかを教えてくれる「シナリオ情報」や、一度読んだイベントは大まかなあらすじで教えてくれる「あらすじモード」など機能は大充実です。特に後者は物凄く便利。既読のメッセージで既に解っているシナリオをただスキップするだけだと、場合によってはストーリーそのものがわからなくなってしまう可能性もありますが、こちらは「あらすじ」というカタチでちゃんと説明してくれるのでその心配はまったく要りません。ノベルゲーム・アドベンチャーゲームとしてここまでやってくれれば、まったく不満などあるはずもありません。ちょっと雰囲気を壊す誤字脱字があったり、スキップを使うと前の立ち絵がシーンが切り替わっても残ってしまうバグがあったりしてそのあたりがちょいと残念ではありますが。

<音楽>
 ほんとに綺麗な曲が多いです。BGMの数そのものはあまり多くありませんが、使い方や曲調が巧いので、それをまったく感じさせないんですね。主題歌もありましてこれもまたいい曲なんですが、こういうあれだとどうしても作中にかかってた曲のほうにインパクトがあるのは仕方ないかもしれません。タイトルで流れる「夏風」、透子のテーマである「Flower」、そしてクライマックスシーンで使われる「夏の終わりに…」あたりの曲が特にわたしはお気に入りなんですが、それ以外の曲も名曲が揃ってます。基本的に夏ということで、夏のどこかうら寂しげな曲や爽やかな感じの曲調が殆どなのですが、それが故に作品の中においてこれらの曲が演じている役割は絶大なものです。単体で聞いても名曲なのはもちろんですけど、これはこの「水夏」という作品の中で使われてさらに生きてくる曲なのかもしれません。
 声も見事で、それぞれのキャラクターの表現としてはもう何も云うことはありません。特に第二章の白河さやか、第四章の名無しの少女の二人は秀逸。この二人はもうこの声じゃなきゃダメですね。難しい台詞も、見事なテンポの付け方でちゃんと演じきっていて、その台詞回しと相俟ってキャラクターをより魅力的な存在に押し上げています。これはもうなかなか言葉では説明できないので聞いてもらうしかないんですが、その魅力に思わずホホがにやけてしまうことも多々ありましょう。文章のテンポを声の演技でうまく生かしきっている感じというのでしょうか。ゲームをはじめてタイトル画面を出すときに、ランダムでそれぞれのキャラの声で「水夏」という声が聞こえるんですが、これを聞いてるだけでもなんだか楽しくなってきます。
 男性キャラには声はありません。まあそれはおいておくとしても、アルキメデスに声が無かったのはちょっと残念です。もしここでアルキメデスの声があったらより綺麗なのになあと思うシーンがいくつかありましたから。
 そしてもう一つ、SEの使い方もまた絶妙。シーンによっては音楽が流れず、ただセミの声や虫の声だけが背景に流れたりします。これが演出として非常に巧く生かされていて、音を使った演出効果というものの力強さを見せ付けられる思いがします。

<総合>
 とにかく、ありとあらゆる要素が物語の演出として高いレベルにある作品。それが総合して作品としての美しさを完成させており、この感覚の前では言葉というものはまったく無力であるかもしれません。とかくシナリオの項目でも書きましたが、物語そのものは決して簡単なものではなく、何度か読み返す必要があったり考えたりしなければならないシーンも多々あります。ですが、それは少なくともわたしの場合は決して苦痛にはなりませんでした。シナリオの読み返しは読み返せば読み返すほど新しい発見がありますし、物語そのものにしてもまた同様です。むしろ、二度目、三度目だからこそわかる面白さ、からくりを知っているからこその面白さというのもこの作品にはありますから、これを一度だけでやめてしまうのはちょっと勿体無いかもしれません。感動した作品は今までにもたくさんありますが、この作品はさらにそれを超えてしまったように思います。理解する感動ではなく、感じることができる感動とでも云いましょうか、そういう圧倒的なまでの「美しさ」がそこにはあります。
 この作品、ちょっとでも気になったら、是非一度触れてみてください。ただし、いわゆる「キャラクターに燃える(萌える)ための作品」だと思ってかかると、ちょっと後半がきついかもしれませんが。


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