家族計画 -絆箱-(D.O.)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント4−
シナリオ:山田一
原画:福永ユミ
音声:有
主題歌:有(オープニング:『同じ空の下で』/エンディング:『Phirosophy』)

<シナリオ>
 不思議な作品です、本当に。シナリオとしては、主人公・沢村司が裏通りで行き倒れていた中国からの密入国者・王春花と出会い、生活を共にすることになってしまったことをきっかけにさまざまな境遇の人々が集まり、赤の他人同士で家族を作る「家族計画」を実施する、という感じになりますでしょうか。
 とりあえずシナリオそのものに触れる前に、この作品は今までのセオリーをさまざまなところで破りに破っています。
 まず、沢村司がいる世界……すなわちゲームの中の世界と、ゲームをやっているわたしでありあなたがいるこちらの世界を混ぜたメタ・ゲームによるギャグ。名前を聞かれた際の「でも、台詞の横に「司」と出ていますが」とか、黒一色の背景で交わされる会話の中の「背景稼ぎましたね」とか、ソフ倫に対してのさまざまなコメントとか、こういうものはすべてせっかく構築された世界観を揺るがしてしまいます。例えば映画「タイタニック」で、船が沈むとき「映画館の君たちは水が来なくていいな」などとキャラクタが云ったら、物語に入り込んでいた意識など一瞬で引きずり出されます。
 メタ・ゲームは、こちらの世界と物語の世界が実は区分けされた境界線のこちら側と向こう側なのだということをプレイヤーに意識させてしまうのです。
 そして、シリアスなシーンでも容赦なく繰り出されるライトなギャグ。さすがにギャグそのものは出ませんが、よほどでない限りはシリアスな展開であってもそこに笑いの要素が入ってきます。そのシーンをぐっと見つめていたプレイヤーが、そのギャグ一つでシーン内部における意識の転換を図る必要があるため、これもまた物語が物語であることを意識させる存在です。
 もしもこれが、いわゆる「泣きゲー」などと呼ばれるジャンルで「感動巨編」を目指して作られていたのだとすれば、そういう意味合いでは大失敗と云えますでしょう。物語の世界に没頭できない泣きゲーでは、極端なことを云えば「泣けません」。否、話自体が上質であれば泣くことは出来るかもしれませんが、そこに若干の白々しさのようなものが残ります。
 ところがこの「家族計画」。これだけのことをしているにも関わらず、とにかく感動させてくれます。ただ「よかった」という感動ではなく、後を引く感動ですね。
 これはおそらく、この作品が「泣きゲー・感動巨編」など目指して作られてはいないからだと思うのです。
 無論、わたしは製作者ではないのでこれが実際にどういう方向を目指して作られたのかなど解りません。解りませんが、この作品からは、「泣かせよう」というものではなく、むしろ物語そのものを純粋に「楽しんで欲しい」という雰囲気を感じました。
 だから先に挙げたようなセオリー違反も、プレイヤーと物語との関係性をちょっと変えてみれば、それそのものが大きな演出に変化してしまいます。そもそも物語に対するプレイヤーの位置がまったく変化してくるのです。
 もちろん、これは実際にやろうとすれば非常に難しいことです。「笑わせたい」でも「泣かせたい」でもありません。これらは直接感情を揺すぶるものですから、これも勿論簡単ではないもののある程度のセオリーがあります。ですが、それらをすべて内包した「楽しませる」という視点から物語を見た場合、そのセオリーはもうある程度までしか通用しません。今までアダルトゲームジャンルでこういう方向を目指した作品というのはあまり無かったと思います。
 と、ここで絶対に誤解して欲しくないのは、今までの作品のレベルが低かったと云っているのではない、ということです。今までわたしがやってきた作品とはもう根本的に狙っている方向やそれの根元を構成するものがまったく違っているとそれだけの話です。リンゴの個数と車のスピードが比較できないように、そもそも単位の違う数字は比較に意味がないのです。
 こう考えると、この「家族計画」という作品が若干読み解けます。
 この作品に登場するキャラクターは、寛に見られるような実に不思議なキャラクターの存在が不可欠です。これは勿論他のキャラクターでも同様で、クライマックスやその中に秘めた事実などのシリアス部分と、トボけた行動による「笑い」の部分が同居しているのです。
 そしてそんな彼らが巻き込まれる事件は、決して日常の中にある平々凡々なそればかりではありません。「密航」という事実に絡み、およそ非現実的な――少なくとも普通に平凡な生活を送っている我々にとっては――ものばかりです。
 もし「泣き」や「癒し」がテーマなのであれば、こんな大きな事件はむしろ邪魔になってきます。現実と非現実の境目は曖昧なものですが、たとえば幽霊とか、たとえば輪廻とか、そういうより大きく現実から乖離した物語というのは、逆説的ではありますがそれが物語であるという礎があるがゆえに理解しやすく、また感動に繋がりやすいものになってきます。
 ところが、この作品のような「マフィア」だとか「密航」などというようなものがテーマになってくると、それよりも現実に近く、それでいながら遠い、いわば「ニュースでしか記憶に無い世界」であって、「物語」へと昇華させることそのものが非常に困難なのです。
 なによりこの作品は、それがそのまま作品の根幹になっているわけですから、ほんの少しのほつれが致命的な世界観の瓦解を引き起こします。
 ところがこの作品の場合、その曖昧な場所にある物語の礎を巧く利用しています。この感覚はなかなか言葉では説明しづらいのですが、あえて近い感情を探すならば「戸惑い」です。この物語に触れたとき、まずプレイヤーは物語そのものを織り成すルート部分に対して一種の「戸惑い」を感じることになり、そしてそこから次々と巻き起こる大なり小なりの物語が、結果としてプレイヤーを「楽しませる」ことになり、また別の方向から物語へ意識を誘うのです。
 そして物語そのものについてですが、こちらももう本当に文句なしに素晴らしいです。先にも述べたような「飽きない展開」もあるのですが、そこに描かれる「家族」という美しさを絶妙に彩られた巧みな言葉の演出が、物語のクライマックス部分で感動になって帰って来ます。
 途中途中の物語だけを見ると、そこに起きている事件が非現実味を帯びるくらいに平和。なんせ隣に住んでいる住人の名前が「伊佐坂さん」です。所々に挟み込まれるギャグと女の子たちの仕草や台詞回しもまた非常に可愛くて見ていて飽きません。
 非常に面白いのは、この作品での「選択肢」という存在です。
 この作品の選択肢は、ほとんど主人公の行動に意味を齎しません。重要な選択肢以外はどれを選んでも基本的にとられる行動は同じです。そういう意味で、この作品における選択肢というのは、プレイヤーの分身である主人公に何らかの行動をもたらすための指示系統ではありません。これは先の話とも少々絡んでくるのですが、この選択肢は「プレイヤーの意思を尋ねる」ものに他ならないのです。
 例えば序盤の選択肢、部屋からいなくなった春花を「追う」「追わない」という選択肢を選ぶことになりますが、どちらを選んでも結局「追う」ことになります。
 ただし、ここでたとえば「追わない」選択をした場合、この選択をしたことによって、プレイヤーは春花を明確に遠ざけたことになるわけですから、それによって春花に対する「プレイヤーの」ポイントが下がったことになるわけです。主人公の、ではありません。プレイヤーの、です。
 だから、この作品においては、その選択肢がすなわち女の子に対して好意的かどうかは、とりあえずはあまり関係ないのです。その選択肢が意味するものは、ただプレイヤーが物語の中のキャラクターに対してどういうスタンスでいるか、司と対象のキャラクターをどう関係させるかを尋ねる意味合いが大きいと云えますでしょう。
 なんでわざわざこんな話をしたのかと云うと、この作品、少なくとも前半から中盤にかけてはそういう「恋愛」要素が極めて希薄なのです。
 もちろん内々にはそれぞれの思いが入り混じってはいるのですが、その感情はプレイヤーにすぐに伝わるような形で表には出てきません。
 よく考えるまでも無く彼らの関係は「家族」であって「同棲」ではないのですから当然の話です。もしここに、「好感度」という形でのご機嫌取りが入ってきたら、そういう関係は崩壊してしまいかねません。そして、それだけ時間をかけたが故に、後半での主人公と特定の女の子との間に芽生える恋愛感情「のようなもの」に説得力が生まれるのです。
 で、ちょっと個人的な好みを含めたネタバレ系の話をすると、この作品から感じるのは「人の優しさ」の表現です。人に拒絶されたもの、人を拒絶したもの……「人とのふれあい」をなんらかの理由でなくしてしまった人々が、その過程で再び拠り所を作るものの、結局その拠り所は「家族計画」の中で育まれた高屋敷家でした、という。
 だから、ハッピーエンドはどうあっても「末永く続く高屋敷家での家族計画」であってほしい、という環状が出てくるのです。
 この物語でわたしが一番好きなのはここです。確かにシナリオは、例えば末莉シナリオとか準シナリオとか云った形で分かれているし、それによって結ばれるのは基本的にはそのシナリオが進行している相手です。
 ですが、たとえばたくさんの人がいるクラスの中から好きな女の子を一人見つけてその娘といっしょに幸せになりました、という話ではなくて、結局どうあっても「家族計画」は進行していて、司も春花も末莉も青葉も真純も純も寛も、そして時にはまた新たな家族が加わっていっしょにいる結末になっているのです。
 これが一番顕著なのは末莉シナリオで、そういう意味でも個人的にはこの末莉シナリオがもっともお気に入りです。いや、基本的にはどの娘のシナリオも好きではあるんですけれどもね。

<CG>
 時々ある背景の微妙な力の抜け具合と立ちキャラの不安定さはちょっと気になりました。立ちキャラも、メインキャラに関してはまったく問題ないんですが、サブキャラ関連がかなりヤバいことになっています。小夜ちゃんや景あたりはまだ「時々怖くなる」くらいだからまだいいものの、園長先生や山名さん夫妻あたりはもうなんだか本当に怖いです。中年以上の年齢を描くのが苦手なのかなーとも思ったんですが寛あたりは別にそういうあれはないし、っていうかそもそも景は主人公と同い年だから中年ではありえないことを考えるとなんだかよくわかりません。まあ、線の質が違うのでメインキャラとは別の人が書いているのかなーとはなんとなく思うのですが、いくらなんでもこりゃなかろうという気はします。
 反面、一枚絵に関してはほとんど文句なしのクオリティ。まあ若干塗りにクセはあるものの、どちらかといえば「可愛い」に属する系列のほんわかとした作風が、見事に作品の雰囲気を作り上げています。

<システム>
 セーブポイントの数やスキップ速度などの使い勝手については文句はありません。ホイールマウスでのバックログなど基本的なことはすべてできますしバグもありませんので、「快適にゲームをする」ことに関してはまったく何の問題もありません。
 でも一番凄いのはやっぱりタイトル画面を使った演出でしょう。最初にエンディングが終わった後タイトルに戻ってきてこれを見たとき、思わずこちらにぐっと来てしまいました。最近のゲームだとタイトル画面を使った演出なんてそんなに珍しいものではないのですが、この作品の場合はこの演出が見事に作品そのものを表現しています。それが何なのかやってない方の為に詳しいことはここでは書きませんが、これ、演出としては本当にちょっとしたことではあるんですけども、こういう仕掛けってほんとに素敵だなあと思います。

<音楽>
劇中曲も「青い鳥」とか美しい曲が多いし、タイトルで流れる「prologue」あたりも非常に好きなんですが、やっぱりオープニングとエンディングの唄ですね。云わずと知れたI've Soundなんですが、共に耳障りの良い名曲だと思います。
 特にエンディング曲「Philosophy」。シナリオのよさももちろんあるんですが、これがエンディングに非常に巧く使われていて、落ち着いたメロディと歌詞の心地よさをさらに印象的なものにしています。
 まあそれ単体だとよくある「人生頑張れ」系の唄ではあるのですが、シナリオがシナリオなのでこの歌詞が意味を持ってくるのですね。エンディングで聞くと実にぐっときます。
 あと声。「家族計画」と「絆箱」の大きな違いはやっぱりこれでしょう。これに関してはもう余計なツッコミを拒絶する巧さで、もし声なしのバージョンでやった人もこちらの声有り版をもう一度やってみれば、また違った感動があると思います。
 とにかくハズシが一人もおらず、たとえば高屋敷家の隣に住んでいる伊佐坂さんとかにも声があるんですが、こんな台詞がそんなにはない人にまできっちり声がついててまたこれが巧いとは云わないまでもきっちり雰囲気を作っています。
 メインキャラクターからサブキャラクターくらいの位置付けの人々に関してはもう云わずもがなといったところで、微妙な感情の揺れとかがものすごく巧いのですよ。特に末莉のエンディング付近、自分の過去を吐露する一幕の台詞回しはほんとに迫真で引き込まれてしまいます。
 他にも例えば春花の中国語とか、声で大きくキャラクターが魅力的なものになっている景とか、聞き所はほんとにたくさんあります。文句ありません。

<総合>
 この作品の魅力を文字で伝えるというのはなかなか難しくはあるのですが、もし気になったらこの作品はやってみて損はしないと思います。
 どういう物語を期待するかによってもちろんその魅力は幾分変わったものになってはくると思いますが、物語そのものにはややこしいところもなく、笑えてじーんときて「楽しめる」作品ですね。
 キャラクターたちがそれぞれに抱える思いは、プレイヤーが何不自由なく暮らしている財閥の跡取とかでもない限りはおそらく少なくとも誰か一人と自らをオーバーラップできる……つまるところ、キャラクターに自らを投影することができると思います。それだからこそ、これが作中のテーマに理想的な形で解決されることによって得られる暖かさのようなものがあるのです。
 さらにもう一つ付け加えるなら、この作品からはどことなく70年代、80年代の懐かしい雰囲気が漂ってきました。音楽にしてもそう、シナリオにしてもそうなんですが、古臭さとは違った懐かしさのようなものがこの作品にはあります。家族というタームがそういった雰囲気を生み出しているのかもしれませんが、どうもそれだけではなく、わけもなく「ああそうか、なるほど」と頷いてしまうようなノスタルジーで満ちています。
 読んだ後に、「良かった」と素直に云える、心地よい読後感。こればっかりは言葉ではどうにも届きません。よろしければ、是非。

2003/3/26(追記有)

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