月は東に日は西に -Operation Sanctuary-(オーガスト)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント3−4+4+3+6+
シナリオ:榊原拓/内田ヒロユキ/安西秀明
原画:べっかんこう
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『divergent flow』/エンディング:『明日の想い出』)

<シナリオ>
 新学期、屋上にいた主人公・直樹の前に突然空から女の子が降ってくる。彼女は彼に「祐介」というまったく別の人物の名前を呼びかけるが、彼にはそれが何であるのかはよくわからない。が、彼の日常はそれをきっかけにして徐々に動き始める……という導入に始まり、基本的な根っこを同じくしてキャラクターごとにストーリーが分岐していくアドベンチャーゲームになります。
 まずこの作品、大きくストーリーが前半と後半に分れます。
 前半ではなんとものんきで穏やかな、いわゆる典型的な(本当に典型的な)流れの学園恋愛モノとしてのストーリーが続くのですが、後半ではそれが大きく変わり、学園に秘められた謎であるとか、はたまた女の子たちの隠された正体、そして記憶喪失であるという設定の主人公の謎などが次々と解き明かされていきます。
 それはそれでよいのです。物語として、後半にあたるシリアス部分を引き立てるためには、前半の暢気な日常を描くというのは手法として有効なのは云うまでもありません。これはもう文法のようなものですから、他の作品でもたいてい多かれ少なかれ同じような手法をとっているのは云うまでもないことでしょう。
 これはちょうど、殺人事件の怒る推理サスペンスものが、「最初はそこにいる人となんらかの関係を持ち、その関係を持った人が殺されていく」ことでその推理に至る動機付けやシチュエーションに対する恐怖を演出するというのと手法としてはまったく同じであると云えます。
 もしこの手の推理サスペンスもので、殺されていくのが顔も知らない見たことも会ったこともないという人ばかりであったとしたら、どうしても主人公が推理するというという動機から乖離していってしまうことになります。
 最初はまったく知らない人でも、事情聴取などでその人の人となりを知りかけたところでその人が殺されたりするからこそ、そのシチュエーションが恐怖を引きたてるわけです。
 それと同じで、シリアスなストーリーをコンセプトとして持ってきたいと思った場合、どうしてもこういう平和な日常描写というのは必要不可欠です。
 それが平和であればあるほど、後半に訪れるシリアスシーンにおいて、あのときはあれだけ平和だったのになあ、という擬似的な想い出をプレイヤーに持たせることができますから、それだけストーリーが自動的に演出されるわけです。
この作品の場合、その前半部分の書き込みは本当に巧みです。キャラクターの持つギミックとしても、エピソードとしても本当に平凡なものでしかありません。
 家事全般が得意な幼馴染、ナマイキな妹(正確には従妹ですが)、引っ込み思案な妹の友達……など、目立ったところはまったくありませんし、そのエピソードも毎朝幼馴染が起こしに来るけどなかなか起きませんとか、女の子たちと文化祭や体育祭の準備をしてみたりとか、とにかくあらゆる面で手垢のついたようなエピソードが連続しており、それが故にこの手のゲームのストーリーに多く触れていれば触れているほど、この日常が平和でおだやかなものとしてプレイヤーの中に演出されることになります。
 また、それぞれのキャラクターの書き込みが巧いので、その日常一つ一つのシーンに対しての思い入れが実に深くなるというのもありますでしょうか。先にも書いた通り、そのキャラクター設定自体は本当に見るべきところなどなにもないくらいにアダルトゲームとしては平凡そのものの設定でしかありません。
 唯一、ちっちゃい子ども体型の担任の先生、というのが少し目新しいかなあというところですが、それとしてもキャラクターの系列全体からすれば決して取り立てて斬新、というほどのものではありえないでしょう。
 なのですが、そのキャラクターの動かし方と云いますか、たとえば台詞回しであったり行動であったり、そういうものが実に自然で巧いのです。
 特に「空から降ってきた女の子」美琴は、行動や会話が「楽しい女友達」という感覚を思わせてくれるもので、読んでいくうちに思わずなんだか楽しくなってしまいます。そういう意味合いにおいて、いわゆる平和な日常という書き込みに関してはもう文句はありません。
 対して後半なのですが、この後半部分がどうも今ひとつ盛り上がりません。あれだけ平和な日常を演出してあれば、それがそれなりに重いエピソードであれば自然に感じるものがあるはずなのですが、どうもそこには至らないのです。
 これにはおそらく大きく三つの理由があります。
 一つ目には、この後半部分、単純に内容に深みが足りません。否、云っていることは実に深くて面白いことを云っているのですが、それに対するキャラクターたちの行動などがどうしても浅いというか、その深みに対してどうしてこのキャラクターたちはこういう判断を下したのか、はたまたどうしてこういう行動を起こしたのかという書き込みが不足しているのです。
 結なんかは結構話としては面白いとは思うのですが、その書き込みの不足がどうしても物語を浅いものにしてしまっている感覚というのは否めません。
 多少のネタバレになりますが、美琴のシナリオにおいてのエピローグ近辺における主人公と祐介についての一連の描写なんていうのは、もっと詰めればそれだけ前半部分の演出で物語を深くすることができたと思います。あれをあんなあっさりと少しの会話だけで終わらせてしまった、というのではやはりどうしても勿体無いと思います。同じようなことは保奈美のエピローグのエピソードにも云えるとは思いますが。
 そして二つ目が、この「物語前半と後半の繋ぎ目」です。
 この手の物語を組み立てる場合に難しいのは、この「平和な日常」と「事件」という、前半・後半のエピソードをどう融合するかという点です。
 もっとも理想としては、日常の中に徐々に事件が入り込み、いつのまにかそれが日常を埋め尽くしている……という感じになりますでしょうか。物語を読む側の視点が、日常から事件へとゆっくりと向けられていき、ふと振り返れば日常が遠いものになっているという感覚こそが、先の「日常を演出として使う」には非常に大切なものであるからです。
 ところがこの作品の場合、その繋ぎ目があまりにも唐突です。前半と後半がはっきりと切り分けられてしまっているのです。
 日常シーンの中で突然とんでもないことが発覚し、そこから先は一気に事件一色になる……という感じで、平たく云えば「伏線」というものがまったく意識されていません。
 これは、ちひろのシナリオがそれが一番顕著だと思います。突然彼女に、物語の根底に関わる非常に大切なことを云われてそこから先はその「事件」についての話が唐突に始まるという流れになってしまっており、あとはもうただなし崩し的に話が進んでいっているだけという印象がどうしても先走ってしまいます。
 それまで、そういうことを少しずつほのめかすとかいうことがあればそれでもよいのですが、それもほぼ皆無です。
 これはたとえば「かぐや姫」で、それまでかぐや姫とお爺さんお婆さんが平和に暮らしているだけの生活を書き、最後に突然「わたしは実は月から来たの。さようなら」と云って消えてしまうようなものです。
 無論、それでも竹から生まれたというところについては物語を読む側に最初に謎を突きつけますが、問題はそれをプレイヤーが「どういうことなのか知りたい」と思うか思わないかという点でしょう。
 この『月は東に…』で云うのなら「主人公が記憶喪失である」「女の子が空から降ってきて「祐介」と突然別の名前を呼びかけた」という二点が最初に大きな謎として提供されるのですが、その後に描かれる日常描写の中にそれがまったく絡んでこず、別に記憶喪失だろうが天から降ってこようがなんでもかまわないじゃんみたいなシナリオが展開されるため、プレイヤーが「なんでなんだろう、知りたいなあ」と思うに至りません。
 「事件」である後半部分が始まると突然それを無理矢理意識させられますが、どうしてもその頃にはそんなことがどうでもよくなってしまいますし、やはりちぐはぐさは残ります。
 つまり、その切れ目があまりに露骨であるがゆえに、読み手が後半部分に対する好奇心を持つことができなくなってしまっているのです。
 そして三つ目は、その後半部分のアンバランスな長さです。これが実にものすごい長さで、その割には上記二つの理由により書かれているエピソード一つ一つがどうしても浅くなってしまうため、その長さに対してその長さを感じてしまう……つまるところ、「退屈さを感じる」結果を生んでしまっています。
 これに関しては特に触れることもないでしょう。それなのにも関わらずエピローグ部分は実にあっさりしているので、終わった後の余韻もどうしても薄いものになっている感じは受けてしまいました。
 おそらく、この製作者たちがやりたかったのは後半部分なんだと思うのです。
 そのアイデアは実に面白いものだと思うのですが、そのコンセプトに対してどうしても描写が不足しているのかもしれません。
 せめて前半・後半のバランスがもう少しよければ、それだけでも受ける印象はだいぶ違っていたんじゃないのかなとも思います。
 エッチシーンは実に豊富。もっとも、エッチシーンを多くしようとしてそのシーンを入れるところにちょっと無理があるところもないわけではないのですが、基本的にみんな着衣のエッチシーンだったりというコダワリは感じられます。
 服装に関しても制服から水着、浴衣まで実にさまざまですし、このへんはまあ嬉しい人には実に嬉しい配慮だったりしますでしょう。

<CG>
 立ち絵がまず実に魅力的で、ポーズの切り替えパターンも多く、ひとつひとつが描き込まれているのがじつによくわかります。
 これに関しては背景はもちろん一枚絵も同様で、一つ一つの絵はクセのそれほどないイマ風のアダルトゲーム系の絵として描きこまれた綺麗なものが多いです。特徴的なのは、『バイナリィ・ポット』の頃からあったディフォルメキャラの一枚絵。
 なんというか、さらさらっとカラーマーカーで描いたような軽い絵なんですが、これが時折出てくるアクセントとして実によく生きています。

<システム>
 ゲームそのものは選択肢を選んで物語を進めていくなんの変哲もないアドベンチャーゲームで、セーブの数が非常に多く、既読・未読を選択できるそれなりに高速なスキップモードや、キャラクター別に音声のオンオフを選択できるシステムなど実に過不足なく快適に使えるものになっているのですが、この作品はそういう以前に細かい演出がいいです。
 これも『バイナリィ・ポット』からの伝統として、台詞のテキストボックスの横にしゃべっているキャラクターの顔を出すなんていうのもあるのですが、立ちキャラやその顔グラフィックの後ろにわずかにフレアーが入れられていて、これによってだいぶキャラクターが見やすく、背景の中で目立って見えます。細かいことですがこういうのはなかなかよいですね。
 もちろん音楽モードやCGモードなどといった回想関係も充実していますし、これといったバグもいまのところうちの環境ではありませんでしたので、快適にゲームをやるということに関しては文句はありませんでしょう。
 フラグも素直で、ボリュームはありますがシナリオやCGのコンプリートなどはそれほど難しくはないと思います。

<音楽>
 音楽は劇中曲・歌モノともにそれほど印象に残っているわけではありません。まあ、オープニング曲のノリのよさなんかはなかなか楽しいものがありますが。
 声に関してはかなりものです。男性も声有りのフルボイスな上に、無理のあるキャラクターが一人もいません。なかなか難しそうな結あたりも実にイヤミなく演じられていて印象深いです。出てくるキャラクターが、サブキャラクターを含めてきわめて魅力的なのはこのへんにも理由がありそうです。

<総合>
 難しいです。少なくとも前半部分は絶対的に楽しいのですが、それだけに後半部分の練りこみの不足というか、全体的な展開の荒さというか、そういう物語のキーになる部分についての盛り上がり不足が惜しいですね。
 SFの匂いを物語にニュアンスとして挿入したいというのは『バイナリィ・ポット』もそうでしたが、あれは「ワールド」という世界観がしっかりしたものとしてまず根底に存在していました。
 ところがこの作品の場合、突然に「はい、ここからSFです」と切り取られた物語の展開というのがありまして、さらにそのエピソードの書き込みが浅いがためにどうしても物足りなさを生んでいます。
 まあ、確かにアダルトゲームとしてみればCGも綺麗だしエッチシーンも豊富でバリエーションも多いのですが、今度はそうするとこの膨れ上がったボリュームが、そこまで行くのを阻害してしまうでしょう。
 なんというか、結局、この作品に絶対的に不足しているのは「バランス」なのでしょう。ボリュームのバランス、前半・後半のバランス。そういうものがもうちょっとちゃんと釣り合っていれば、これはきっとものすごく面白い作品になっていたんじゃないかなと思えてならないのです。
2003/9/28

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