Clover Heart's(ALcot)

項目シナリオシステム音楽総合
ポイント5+4+4−
シナリオ:宮蔵/大三元/板東えみし/船亀由真人/鳳鳥麻理/まじか/成瀬尚登
原画:仁村有志
音声:フル
主題歌:有(オープニング:『Clover Heart's』/エンディング:『坂道』『たとえば』)

<シナリオ>
 双子の兄弟でありながら、引っ込み思案な兄・白兎とある事件をきっかけに心を閉ざしてしまった弟・夷月。そんな二人の下に、やはり双子の姉妹が突然同居することになった。それをきっかけに、二人の心は次第に揺れ動いていく……と、カタログ的な説明ならこんな感じのあらすじになります。
 実際、まあ個々のシナリオに入ると(特に夷月編では)大きく物語が発展しますが、基本的にはそれほどまでに大きな事件が起こるでもなく、実に普通にそういういかにもラブストーリーと云った感じの甘い雰囲気の物語が続きます。
 それは悪くないです。まあ、物語の根幹とも関わる話になってはくるのですが、この「平和な日常」を演出するという意味合いにおいてはそれはまったくもって成功しており、はたまたそれが「恋愛」を中心に進んでいきますので、この手のゲームにありがちな、ある日突然わたしあなたのことが好きなんですなんて云われておいおいなんなんだそれは、みたいな違和感というのはおそらくそんなに感じません。
 キャラクターたちが、お互いにゆっくりと惹かれあっていくというのがちゃんと伝わってきます。
 そしてそれがゆえに、途中で挟まれるその恋愛に対する障壁も、どうなるんだろうと思いながら読み進めることができるのです。
 そのあたり、恋愛感情に対する丁寧な描写というのは本当になんというかドキドキしてしまうほどで、物語そのものを実に自然に受け入れることができるでしょう。
 文章そのもののテンポのよさや、なにか複雑な謎かけがあるわけでもなく、物語そのものが非常に素直であるというのも大きいのですが。読ませてくれる文章であることは間違いないと思います。
 この作品、シナリオはまず視点の違いによって白兎編と夷月編に大きく分かれ、その中でそれぞれチャプターが四等分されています。いわゆる「攻略キャラクター」というのは決して多くありませんが、この視点別とチャプター別であるがゆえにボリュームはかなりのものになります。
 ただ、基本的にそれほど起伏がある物語ではないので、途中でちょっとその長さを感じてしまうかもしれません。物語のそこここにはきっちりと節目になる「事件」が盛り込まれていますので、ただ単に中身の無い文章を読まされる、という感じではないのですが、極端なことを云ってしまえばその事件と結末が起伏の中の平坦な振幅で繰り返されるため、どうしてもその長さを感じてしまうのです。チャプターの最終段階である「4」に入ってしまうとそうでもないのですが。
 これにはいろいろな理由があると思うのですが、その一番の原因は、そこにメッセージ性を盛り込もうとして起こっているのであろうキャラクター性の喪失でしょう。口さがない云い方を許してもらえるのであれば、そのシナリオで進めている主人公とそのヒロイン(夷月編なら夷月と莉緒)以外のキャラクターの魅力が、この強引なメッセージ性によって殺されてしまっているのです。
 いえ、キャラクターにまったく魅力が無い、と云っているのではありません。確かに特に主人公キャラの夷月あたりのキャラクター付けが不安定だというのはまああるのですが、基本的なところではどのキャラクターも魅力的ではあるのです。
 主人公やメインヒロインである二人はもちろん、その取り巻きのサブキャラクターであってもそれは変わるところではありません。ただ、それが物語の中に絡んでくると、とたんにそれが消えてしまいます。どうしてこんなことになってしまっているのかという理由を考えてみたところ、この傾向は特に白兎編に強いのですが、これはおそらくそのシナリオにおけるメインヒロインの二人以外が、あまりに物事や世界を達観しすぎているからなのではないかと思うのです。
 久遠がそういうキャラなのは仕方が無いことでしょう。と云うよりも、久遠はこの作品の中では明らかにそう云う「神(母親)の視点」を意図的に与えられており、物語の根幹を見ることが許されているキャラクターなのでしょうから、久遠がそうでなければ物語そのものが破綻してしまうことだって十二分に考えられることです。
 しかしこの作品では、雄基や凛までもがその視点を与えられてしまっています。
 当惑しているところに、わたしは全てを知っているのよ、と云わんばかりにアドバイスをされたりなんだかわからないけれども怒られてみたり、自分でけしかけたことが失敗して勝手に逆切れしてそれもおまえのためだなんて云ってみたりするので、なんというか自分が物語の中で取り残され、勝手に進んでいく流れにまかせて流されているだけなような印象を受けてしまうのですね。
 白兎編ではさらに莉緒あたりもその傾向があるので余計にです。だからこそ、そこそこに起伏があるにもかかわらず、物語の長さを感じさせてしまうのでありましょう。
 確かに物語の中で迷走する主人公たちを元の軌道へ戻す役割を与えられたキャラクターというのは大切なのですが、これが「自分とヒロイン以外全員」であるというのではいくらなんでもあんまりというものでしょう。
 特にその中でも、凛のキャラ付けは非常にアンバランスなものになってしまっている感じがします。シナリオの側で、物語中で凛というキャラクターにどういう役割を与えたかったのかというのが少し見えにくくなっているのではないかなあと思えてならないのです。
 これはおそらく、シナリオ側から、恋愛とはこういうものだとか、いっしょにいることっていいなあとか、そういうメッセージを過度に持たせようとしてしまったことの弊害なのではないかと思うのです。
 確かにこのメッセージがあれば物語は魅力的になるのは事実なのですが、しかし調味料もかけすぎは味を殺してしまうもので、そこまで過度にサブキャラクターたちが主人公を押し流す必然性ってあったのかなあと。
 主人公たちの行動があまりにも不可解だったり、夷月のキャラ付けが不安定なのも、原因はこのへんにあるのかもしれません。
 例えば夷月であれば流されるように流されて、孤独を愛する云々のはずだったものがあっという間に大きく性格が変化してしまうのでは、主人公キャラに思い入れるのはどうしても難しいものになってしまいますでしょう。
 だったら、好きなものは好き、というそれだけの物語だってよかったはずです。本来、(嫌な云い方になってしまいますが)青臭い恋愛として描かれているだろうはずのそれは、雄基や凛のキャラ付けによって無理やり引き伸ばされてしまっている印象はどうしても否めませんでした。結果、特に白兎のシナリオでは、どうも雄基や凛というキャラクターが最後まですっきりしない、なんでオマエはそれで仲良しに戻ってんのよ、みたいな消化不良な感じはどうしても残ってしまいます。なんでもかんでもほっぺたひっぱたいて俺目が覚めたよごめんね、ではやはりちょっと……と思わざるを得ません。
 しかし繰り返しになりますが、キャラクターに魅力が無いわけではないのです。物語自体は確かにステレオタイプな恋愛エピソードに彩られたものではあるのですが、それがゆえに単独で見れば結構キャラクターは魅力的なのですよ。それがゆえに惜しいなあと思うのです。
 ただ、いたずらに攻略キャラクタを増やさなかったというのは、個人的にはすごくすばらしいことだと思います。いわゆるエッチシーンのある「攻略キャラ」たるものは、メインヒロインであるところの莉緒と玲亜のほかにちまりと円華がいるのですが、このほかはそれっぽいシーンはあっても実質的な攻略キャラにはなりません。
 確かに人によっては俺は久遠が攻略したかったんだ!みたいなことになると思うのですが、でも、それをやってしまうとこの作品の物語って一気に崩壊してしまうのですね。
 ちまりと円華は、それぞれがそれぞれに物語の基本となる部分で恋愛の感情というものがきちんと存在しており、物語的にはこの二人と主人公二人がそれぞれ結ばれることに違和感はありません。
 と、ここで「物語的には」という文節を敢えて入れたのは、それが物語として破綻するかどうかということだけに触れた結末であり、この作品においてそれに軋みが出ているかどうかということではありません。
 事実、円華はそうでもないのですがちまりのシナリオには、主人公はもちろん回りのキャラクターたちを含めた行動や心情というものにかなりの軋みを感じます。
 ちまりというキャラクターは非常に魅力的なのですが、その魅力がどうも物語の中で空回りしている感覚とでも云うのでしょうか、そういう印象はどうしても拭えませんでした。これは先のキャラクター性の話とも大きく関わってくるところなのですが、まああまり触れてしまうとネタバレになってしまいますので細かいことにはここでは言及しません。
 まあ、それはともかく。この作品では、説明書やメーカーのウエブサイトなどを見ても解るように、夷月視点では莉緒か円華、白兎視点では玲亜かちまりのシナリオしか進行しないようになっています。
 久遠や凛はもちろんですが、主人公を夷月にして玲亜と結ばれる、というようなこともできないようになっているわけです。
 この作品では、主人公に完璧に人格が与えられています。このレビューのページでも何度か書いてきたことではあるのですが、ゲームの主人公というのはその多くが非常にニュートラルな、空っぽの入れ物のような存在です。
 これはよいとか悪いとかではなくてあくまでも一つのタイプの話なのですが、これはプレイヤーがその主人公と内面で繋がりやすいということにおいては非常に解りやすい表現形態であることはおそらく云うまでもないことでしょう。
 過度に自己主張する主人公というのは、この時点でモニターの前の「わたし」ではありえません。モニターの前の「わたし」と主人公が同一化するには……つまり、自分自身がモニタの中の世界へ入っていくためには、主人公に過度の人格を与えることは毒にしかならないわけです。
 反面、主人公が確固たる一つの人格を持ったキャラクターとして物語の中に存在する作品というのもあります。これはこの作品と同じスタッフにおいて作られた『月陽炎』や、ほかにも『AIR』や『家族計画』などの作品に該当するのですが、この場合は主人公はたまたま視点をプレイヤーと共有しているという特殊性を与えられてはいるものの、その他においては物語の中では他の登場人物と同等に扱われます。映画のそれと近い感覚ですね。
 このタイプではプレイヤーに許されているのはその世界で紡ぎだされる物語を「見る」ことと、主人公の行動を「決定する」ことだけです。
 あくまでもモニタの前にいるプレイヤーは「わたし」で、モニタの中の主人公は名前を持ったまったく別の人格なわけですね。
 この作品ではまあキャラクターが「双子のワケアリの兄弟である」というシチュエーションを与えられている前提もあるのですが、非常にそのキャラクター性が強いものになっていると云えましょう。つまり、タイプとしては完璧に後者です。
 このタイプであるからこそ、この作品は先に述べた「達観しているキャラクターたちとの乖離」が強く出てしまうのですがそれはまあおいておくとしても、こういう主人公が一己のキャラクターとして独立している場合、展開をある程度固定しないと物語そのものが非常に不安定になってしまいます。
 本来はサブキャラクターである久遠や凛などが「攻略対象」として入ってくると、それまで築き上げてきた物語の基礎が崩れ落ちることになりかねません。
 だからこの作品に対して、「意外性が無くて先が読めちゃうからつまらない」というのはこれは当たりません。確かに「先が読める」話であることは間違いないのですが、その「先を読ませる」ことで敢えて一つの物語として完成させたというのは、これはこれで一つの手法であると云えますでしょう。
 エッチシーンは非常に豊富。全編にわたってわりと満遍なく、それもかなり数多く散りばめられています。テキスト描写も濃厚ですし、コダワリなのかどうか解りませんがエッチのほとんど全てのフィニッシュに中出しか外出しかを選べたりなんかしてわりとこだわってるなあという印象。
 フェラシーンでは口の中に出すかどうかをちゃんと聞いてくれたりとなかなかの親切設計です。
 まあ、こういう話ですから当然普通のエッチ(なにそれ)がほとんどなのですが、夷月編にはメイド服でエッチなんていうようなあれとか唐突にフタナリモノみたいなのがあったり(これもなんだかよくわからないんですが)、白兎編にも主人公であるところの白兎君が女装させられてエッチ、なんてのもあったりしてなんだか諸所にアブノーマルが。好きな人にはたまんないかもしれません。
 しかしどうでもいいことなんですけれども、この「白兎」「夷月」という名前はちょっとなあと。いやまあ世の中に実際に存在する白兎さん夷月さんには申し訳ないんですけれども(いればですが)、ここまで特殊な名前にする必要ってあったのかなあ、とか思ってしまうんですが。
 身近にこんなに珍しい名前の人がいたのに、凛とかは玲亜と莉緒の「御子柴」という苗字に対して「珍しい名前だよね」みたいなことを云った挙句とんでもないことを云ったりするという(このへんはネタバレになるので敢えて伏せますが、既に終わった人であればああ、あそこかと思っていただけるでしょう)おもしろ思考の持ち主だったりするのがどうも。阪神にいただろ阪神に。

<CG>
 これはもう文句なしです。個人的なことではまあこの絵に惹かれて買ったというのも大きいのであれですが、その期待はまったく裏切らないなあ、という感じ。巧いし可愛いんだこれが。もちろん好みの問題もありますでしょうが、透明感のある画風は実にいい感じの雰囲気。
 全体的に可愛い系、低年齢系の外見ではあるものの、それほどまでに好き嫌いの分かれる画風でもないのではないでしょうか。女の子はもちろんですが白兎や夷月なんていう主人公まで可愛いというか女顔っていうか女そのものじゃないかその顔はなんていうのはまあちょっとどうかという気がしないでもないというかこれっていわゆるショタとかそういうあれなのではないかと思わずじつと手を見てしまうわけですがそれはともかく、もう絵に関してはまったく文句はありません。
 一枚絵・立ち絵ともに大きく崩れるところもありませんし。とくにちょっとばかり地味なキャラですが、ちまりの立ち絵の表情はもう絶妙。くるくる変わる表情は、もう見ているだけで楽しくなってしまうこと請け合いです。

<システム>
 クリックしたときの反応とかを見るにつけ、ちょっと重いかな?と思うときが若干ありましたが、別に気になるほどではありません。インストールしてしまえばディスクが要らなくなるというのも手軽でいいですし、システム自体もバグなどはなく実に安定しています。スキップ速度は高速ですし、セーブポイントも必要にして十分。メニューも使いたいものが使いたいところにある仕様ですので、まあ凝ったシステムを採用しているではないにせよ快適にゲームを進めるという点では優れているのではないでしょうか。
 この作品、物語が進行し、シナリオの中である決められたポイントを通るとチャプターの終わりにアイテムが入手できるのですが、それは『月陽炎』のように物語を開く鍵になっているわけではなくて、アイテムによってメニュー画面で選択できる項目が増えていくようになっています。
 たとえば一例を挙げるならば、作中で「CDプレーヤーをプレゼントされる」という描写があったとすると、そのチャプターの終わりにアイテムとして「CDプレーヤー」を入手でき、これでメニューから音楽モードが選べるようになる……といった具合ですね。
 これはこれで非常に面白いシステムだと思います。逆に云えばクリアすれば必ず音楽モードとかサブシナリオとかが開くというシステムではないわけで、一見すると面倒くさそうですが、そのチャプターで取り残したアイテムがあるかどうかは一見すればすぐわかるシステムになっていますから、そんなにうわあ面倒くせえ、というようなあれではありません。ゲームとしてはこれくらいのほうが面白いかも。
 フラグは多少厳しめなところはあるかもしれませんが、まあ、ハマるというほどのものではないでしょう。
 ああ、でも一つだけ気になったのは、この作品では台詞の前にキャラクターの名前が表示されず、喋っているキャラクターの立ち絵の下にその台詞が出るというシステムになっています。
 これは演出としては面白いし、立ち絵があるときは喋っているのが誰かというのが非常にわかりやすいのですが、逆に立ち絵がないときはト書きが出るところに普通にキャラクタの名前なしに台詞が出るために誰が喋っているのかわからなくなってしまうという欠点を抱えています。
 一応、キャラごとに台詞の文字色が変えられているので慣れてしまえば気にならなくなるんですが、慣れないうちはこの台詞は誰が喋ってるんだろうと考えてしまうことも少なくありませんでした。このへんはちと惜しい感じですね。

<音楽>
 悪くありません。歌はオープニングに一曲と莉緒・玲亜エンディングそれぞれ一曲で合計三曲あるのですが、まあそれも……特に「たとえば」とか好きなんですけれどもどちらかというと長く聞いていたからか劇中曲のほうが印象は深いですね。「lively dance children」とか、途中からの展開が非常に好みだったりします。あとは「春風と共に」とか。さらに今作でも、シナリオの進行に伴ってタイトル画面の曲がどんどん賑やかになっていく「迷宮組曲システム」(こんな名称はありません)が採用されていてこれもまた嬉しい限りですね。
 声ですが……これが微妙。いえ、この手の作品だからこそ「男性キャラを含めたフルボイス」は非常に嬉しいですし、巧い方は多いんです。莉緒とか久遠、ちまりなんてのは間違いなく巧いですし、白兎も「女顔の男の子」というイメージにしっくりくるような、いわゆる「少年ボイス」がハマってます。ロベルトも難しそうなキャラを見事に演じていますし、基本的にはもう文句なしではあるんですよ。が、時々、ん?と首を傾げたくなるような感じがありまして……。玲亜とか夷月とかがそんな感じですね。その最たるものが賢治。ちょっとこれはあんまりなんでは。ヘタクソってなことではないと思うのですけれども、なんだか微妙な違和感があります。

<総合>
 まあ、難しいところではありますが……正直な話、ストーリーとしては特に見るべきところはありません。普通のラブストーリーを求めるのであれば普通に楽しめると思いますが、根本的な物語自体はむしろ退屈だと云ってしまってもいいかなとさえ思います。要するに、あまり好きな言葉ではありませんが「萌え」なんていうようなあれの向きなんですよね、向いている方向が。まあ、それならそれでいいんじゃないかなと思います。それはただ、わたしが見たかった方向ではなかったという……まあつまり「合わなかった」というそれだけの話ですから。ただ、そこに過度に主張を入れてしまったことで、そういうコンセプトですらちょっと崩れてしまっているという残念さはないわけではありません。
 とはいえ、男の子と女の子が好きになっていちゃいちゃして喧嘩してまた仲良くなって、みたいな流れをうまく描いているという点においては非常に高いレベルにありますから、そういう観点からすれば面白いかつまらないかと云われれば間違いなく面白いですし、絵も魅力的ですから、この絵や雰囲気が気に入った人になら間違いなく薦めてしまう作品ではありましょう。
 なんですが、やはりシナリオのところでも触れたような、キャラクターの位置付けで最終的な印象はだいぶ損をしているなあとは思いました。
 悪役を憎らしく、読み手からもああ俺はこいつが憎いなあと思ってしまうような(有名どころで云えば、『MOON.』の高槻のような)キャラクターに設定するのは物語としては大切なことなのですが、いわゆる味方キャラや憎まれてはいけないキャラを憎いキャラにして、最後までその印象を完璧に拭わないまま終わりにしてしまうのはやはりちとまずいと云わざるを得ません。
 このへんはもう非常に惜しいと思うのですが、でもまあこんなものは人によってはまったく気になりませんという人もいるでしょう。
 このへんはもう「やっていただく」しかないと思います。返す返すも、具体的にわくわくどきどきするろうな物語を期待すると、ちょっと肩透かしは食らうかもしれませんが。
 しかしこの作品、おまけとしてトレーディングカードが二枚入ってたんですけど、これ9枚全部揃えるには何本もソフトを買えってことなんでしょうか。あたしはこういうのは興味ないんで別にいいんですが、なんだかそれもあんまりだと思うんですけども。

2003/12/02
2003/12/03 修正
2003/12/07 修正

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