ONE 〜輝く季節へ〜 レビュー

 ただ単に感動するとか、心を揺り動かされるとか、そういうことなら日常でもわりとよくあることだと思う。そんなに刺激的な生活をしていないよ、という人は、ただ単にそれに気がついていないだけである。
 感動というのはなにも、だーっと涙が止まらないような衝撃を受けることを意味するのではない。心が何かを「感じる」ことが、すなわち感動することなのである、といえば納得していただけるだろうか。
 たとえばわれわれは、道端に咲く花を見れば、意識的にであれ無意識にであれ、その美しさ、力強さになんらかの感動を覚えるだろう。それは心の豊かさとか、そういう次元の問題ではないと思う。そこからなにかを感じる力というものは、人間であるならきっと持っているはずのものである。少々面倒くさくいうならば、それは「環境の相互作用」とでも呼ぶべきものだ。これが喪失された瞬間、人間は社会から完璧に弾きだされているはずである。
 つまり、「感動」することは、実はそれほど珍しいことでもなく、この要素を人工的に色濃く抽出し、纏め上げたものが「物語」であると私は思っている。
 それでは、「心に届く」というのはどういうことなのだろう。
 「ONE 〜輝く季節へ〜(Tactics)」をプレイさせていただいた。
 結果から言ってしまえば、この作品は恐らくこの「物語」を物語たらしめる要素を、ある意味では究極にまで突き詰めた作品である。今までにやったどんなゲームよりも、ひいては今までに見たどんな物語よりも、私はすばらしい作品であると私は思う。
 「自分の存在」が消えかかっている主人公と、その周りを取り囲む、個性溢れるキャラクターたちの物語。もしストーリーを説明せよといわれたら、究極的にまで突き詰めればこういうことになろう。見た目の学園恋愛SLGな雰囲気とはまったく異なり、その雰囲気はそこはかとなく重い。
 「自分の存在が消える」。すでにこの作品に触れた方ならば、この作品中においてこれがどういうことを意味するかはわかっていただけると思う。「存在が消える」というのはどういうことなのだろうか。「忘れ去られる」ことではない。「忘れ去られる」のは、そこに存在していることが前提だからである。「存在」そのものの消滅・・・すなわち、もともと「そこにいた」こと自体が失われる。確かにそこに立っていながら、自分はそこにはいない。そして、終わりのない、時間のない世界・・・「永遠」への旅立ち。「永遠」の世界は、すでにここであってここではない。
 当作品中では、これによって主人公は「消えてしまう」わけであるが、現実(「物語」の対照としての)でもこういったことはありうる。もちろん実質的に消滅してしまうわけではない。
 この作品の「存在の消滅・永遠への旅立ち」というのは、そのままシステマチックに構成された現代社会の、一人一人の存在意義の喪失に対するアンチテーゼであると言うことができると思う。
 あまりに凡庸な言葉で申し訳ないが、現代社会において、個人の存在意義というものは非常に薄くなっている。あまりに社会が大きくなりすぎ、行動の基本単位が「個人」から「組織」にならざるをえなかったからである。
 この「組織」を単位にした行動規範は、すなわち内部を構成する個人のパーソナリティの無視を意味する。組織を構成する細胞は「細胞A」「細胞B」であり、特定の細胞である必要性はまったくない。「細胞A」でありさえすればいい。細胞Aのこれ、と特定する必要性はない。「変わりはいくらでもいる」のである。そこに個人はいない。学校なら「生徒」という集団が、会社なら「社員」という集団がいるだけである。自分がいなくなっても、悲しむ人はいるだろうが、組織の運営がとまってしまうことはあまりない。
 これが「パーソナリティの消失」である。自分の居場所がない、という現代人的な悩みはここから生まれる。
 これはもはや存在の消失以外の何者でもない。私たちがこの「ONE」に不思議な同調を覚えるのは、無意識にでもこのことを感じているためであろうと思う。
 「生きる」ことで空いてしまう心の穴に、この「ONE」は入り込んで、中から暖かく癒してくれる。当作品が示す「心に届く」ことは、ここにあるのではないかと思う。
 「終わった後にシーンが残る作品」が名作であるということは、すでに私が何度か書いた通りであるのだが、この作品で残るのは「個々のシーン」以上に、その全体としての印象が残る。もちろんシーンはシーンで、エピソードとともに頭の中に描かれるが、それだけではない。そこはかとない温かい雰囲気とともに、すべてを包み込んでくれる。だから、物語をそこにある現実のひとつのように感じることができるし、自分の経験のフィードバックとしての経験として獲得することができるのだ。
 「Moon.」のときもそうであったが、このシリーズが「名作」なのは、それぞれの物語の深さである。キャラクタを覆うテーマはほかの作品の追従を許さないくらい深く重い。なにかの重圧を背負い、それに対する行動、そしてその結果。それぞれの書き込みが、ゲームのそれをはるかに越え、経験レベルにまで深められているのである。平たく言ってしまえば、キャラクタや世界の、見えないところを見せる方法が、巧妙に表現されているのだ。
 もちろん多少の不満がないわけではない。キャラクタのクリア条件になる選択肢において、いくつか主人公の行動が不可解なところが多少存在し、結果、ゲームとして「フラグ探し」になりうる危険性があるのは否めない。ただ、これはゲームとしてこの作品が存在する以上、どうにもならないことであるというのもまた事実である。
 本当に凄い作品であると思う。もはや、このレヴェルの作品に触れるには「読む」「見る」ことでは成立しない。もちろんそれだけでもゲームとして十分に楽しむことはできるであろうが、しかし本当にこの作品の本質に触れようとするなら、作品を「感じ」なければならない。「経験」しなければならない。ここにこの「ONE」の本当の凄さがある。「心に届く」ことの真の意味がある。
 まだの人はぜひ「経験」していただきたい。
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